【録音鉄の回顧】急行「まつしま7号」昭和58年2月 上野~仙台

東北新幹線の本格開業から3か月ほど経った2月の週末、宮城に居る母方の従姉が結婚するため家族を代表して母親と二人で出かけることになった。従姉なので妹の方が良さそうだが期末試験直前だったようで父と留守番に。往路は行くだけなので周遊券のメリットが活かせる急行利用、翌日は四季が終わってからの帰途ゆえに東北新幹線初乗りと相成った。
そういうわけで昼下がりの上野駅に向かう。急行まつしまの多くはばんだいやざおうと併結で実質6両編成だが、この7号は12両編成据えてが仙台行きなので仮に混んでいても席は確保できるだろうとの読み。今回はこの乗車を60分テープに詰め込んで収録したらしい。
乗ったのはおそらく前の方(上野駅の構造上後方が混みそうなので)で、メモにはモハ454-48と記録があったので、8号車か11号車(だと思う)。テープの記録は上野駅を出発して案内放送を一通り録音したのち、次は西那須野からの収録だった。この当時の東北本線はまつしまとあずまで6往復、あとは宇都宮や黒磯までのなすのと合わせると概ね1時間おきの運転だったと記憶している。なにせ大宮乗り換えだと宇都宮に行きたい人は乗り換えが増えて料金も上がり所要時間短縮がほとんどなくメリットが無いこともあり、おそらく急行列車の人気が高かったと思われる。なので、車内もざわついていて録音は見送ったのだと思う。
西那須野時点で車内はまだわちゃわちゃしていた。考えてみれば黒磯に行きたい人もたぶん乗り換えが面倒だし、黒田原に行きたい人はなおさらだろう。うちの母親は小説を読むのに夢中なので気を使う必要はっ誘う。車内放送で「黒磯駅では電源切替で車内の照明がいったん消える」ことを告知していた。黒磯は2分停車なので、電源切替の様子を見るべく車外に出る。まずはブロアの電源が切られひゅ~んと徐々に音が弱まっていく様子が聞こえる中、ガシャンとパンタグラフを降下、少し間があって(運転士は表示灯で直流→交流切替を確認後)パンタグラフが上昇、バチバチッというスパーク音が聞こえ次の瞬間キュイーンという音とともにブロアが起動し切替完了。
車内に戻ると、タイフォン一声ののち動き出した。加速時にぶ~んという交流区間ならではの機器音が聞こえてきて聴覚でも交流区間に入ったことを認識した。
このあと、録音音声は松川~福島間の記録にとぶ。時刻は18時近く、車内は空いている様でかなり静まっている感じ。ところで、この時期の東北本線はロングレール化されているものの数kmおきに継ぎ目を通過する音が前方からバタンバタンと迫ってくる様子が聞こえてくる。あと駅構内は定尺レールとなっている箇所が多く、先ほどの継ぎ目が迫ってくる音の次にポイントをいくつか通過、定尺レールの走行音とともに踏切を通過し跨線橋を潜りホーム脇を通過する様子が聞こえてくる。そのあと再度ポイントを数個通過するとロングレール区間に突入という感じで一駅一駅進んでいく。
このあとは、藤田~越河にかけての山越え、大河原からのダッシュなどの様子が記録されていた。
ところで、455系電車のモーターはMT54搭載なのだが、乗車した車両のモーターはMT46風の音を奏でる奴だったようで特にデッキで聞く音声はMT46っぽかった。
そして、鉄道唱歌のオルゴールとともに終点目前の案内放送が始まる。列車はちょうど名取川を渡っているぐらいか背後に鉄橋を通過する音が入っていた。{みなさま、長らくのご乗車ありがとうございました。列車は間もなく終点仙台に到着します。仙台からの乗り換え列車は・・・・」と長めの放送のさなかに長町を通過し定時であることが告げられる。放送を締めくくる鉄道唱歌が流れ上野からのおよそ5時間の旅が終了。但し、録音テープは適度に端折って60分であるが。
仙台からは東北本線の普通列車に乗り継いで松島まで行き、この日は親戚の家に宿泊。
翌日は従姉の結婚式に出席後、仙台から東北新幹線に初乗車。東北特急の4時間乗車に馴らされた体にはとてつもない速さと感じた。新幹線は特に興味が無くて録音はしなかったが、停車駅ごとに異なる民謡メロディーを収録したテープを売っていたので購入した。このテープは今も手元に現存している。もともと親の帰省に付いていく時は、特急ばかりだったので急行に乗りとおす機会はあまりなかったので、この時最後の輝きを見せていた(2年後に急行は全廃となる)455系の活躍を記録できたのはラッキーだったかもしれない。

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