【1979年7月】八戸線、久慈線から岩泉線

八戸からは急行「十和田6号」に乗車。このまま周遊券の南限の平(現いわき)まで行っても朝6時台到着で、磐越東線は未乗なので都合は良いが、この日ばかりはそうはいかない。翌日は部分日食があり、北に行くほど欠ける割合が大きいため、初めて体験する日食はなるべく北で見たいと考えていた。
乗った十和田号は14系座席車でバッタンコシートの簡易リクライニングとはいえ、周遊券に課金無しで乗れる最高ランクの車両である。2時間半ほど乗って深夜に降りるので寝ないようにしていたが盛岡に気が付かなかったので少しウトウトしたようだか、1:25着の北上で乗り過ごすことなく降車。ここで下りの「八甲田」を待つ。次の水沢でも良いのだが夕方降りて様子が分かっている北上にしたのだった。この一時間ほどの間で印章が強かったのは、相次いでDD51重連の上下貨物列車が通過したこと。後でタイヤを見たら北上操車場から花巻の間にスジが引かれていたので多分釜石線の貨物列車だろう。40年前は物流の一翼を担っていたのだ。
2:34発の「八甲田」に乗車、席が空いているか懸念していたが難なく着席できた。八戸で降りるためあまり熟睡できないまま4:52到着。何日か前にこの乗り継ぎに失敗下之で胸をなでおろしキハ40系の気動車編成に乗り込む。5:13八戸出発で約2時間を淡々と過ごし7:19久慈到着。一応起きていたが途中の印象が薄く、久慈駅前に大勢集まっていた高校生の方が印象的だった。
8:10の普代行は別編成で雑誌に紹介されていた海を見下ろす橋とかを通り8:50到着。ここからは9:30発の国鉄バスで岩泉を目指す。時刻表では北山崎乗換となっていたが、バスは直通となっていて数分停車となっていた。運転士さんから景色を見たい人はどうぞと放送があり高台のバス停から眼下を見下ろすと美しい海が広がっていた。美しい景色に後ろ髪惹かれつつあとの行程があるのでバスに乗り続け12:34岩泉駅到着。既に部分日食は始まっていて、用意してきた自作の観測板で太陽を覗く。あっという間に時間が過ぎて、13:23発の岩泉線に乗って14:20茂市到着、接続良く14:26の急行「よねしろ2号」に乗り換えて宮古に14:45到着。
このあとは15:10発の宮古線に乗り田老15:29着。たしかキハ52の単行で1日4本なので結構な乗車率であった。折返しまで8分しかないので教科書にも乗っていた大防潮堤を一瞥して引き返すのみであった。しかし、あの堤防を持ってしても、津波を防げなかったとは自然の驚異は凄まじいと改めて思う。
15:37発の列車はトンネル多数の区間を戻り宮古に15:55着。ここでようやく駅そばの昼食にあり付き、16:19発の急行「五葉」で盛岡を目指す。陸中川井駅に停まると盛岡まで約1時間半ノンストップとなり、ここで気が緩んだのか寝落ち、スイッチバックの浅岸、大志田駅を見過ごしてしまった。ところで、この列車は、盛岡−花巻−釜石−宮古−盛岡と走行する循環急行である。但し、途中の区間だけ乗っても特に感慨は無かったが。18:25盛岡着。ほとんど乗りっぱなしの長い行程はここで一段落。盛岡駅の駅ビルの食堂に向かい夕食とする。とは言っても、今宵の宿はまた夜行列車、乗り鉄少年の旅はまだつづくのである。
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