夕涼み

のつもりで海の見える高台の駅に行きましたが、全然涼しくなかった。

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相性悪い

本日大幅遅れて運転中の3075レ、ちょうど用事のさなかに近隣通過で、無理だなこれ。
遅延の時間がどストライクで苦笑。

41年前の東北本線 藤田−貝田

ここに向かうために福島発3:28なる超早起き列車に乗車。1041列車、荷物列車の旅客利用です。福島までは前夜の「おが4号」で来ました。

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早暁の貝田では鉄道ファンに載っていた撮影場所がなかなか探せず、結果的には最初にスルーした獣道のような先にありましたが、結構時間ロスしました。

ひばりはボンネットクハが仙台側に付いていて撮りにくい。
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客車列車は長編成
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上りはアングルがこんなで重連貨物とわからない
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願わくば、デロリアン借りて再訪のタイムスリップしたいです。

41年前の記録から急行「あぶくま」

白河から盛岡に向かって走る姿です。昭和56年夏、藤田−貝田にて。
福島県の東北本線を勝田区の455系が走るのは珍しいがこれは狙って撮ったのではなくてあまりの暑さに惰性で写してました。7両編成、後ろから2両目にグリーン車が連結されているのが特徴。

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なお、この当時パノラマカメラはなく、中央の電柱のところで2枚を貼り合わせてます。実はこんな景色なんだよーと示したくてこんなことをやっていたらしい。我ながら、高校生の時の自分の感性はようわからん。
ただし、急行あぶくまを撮った記録はこれぐらいしかないので、その点は褒めてあげられるかも。

大雨影響で食事を摂りそこねそうになった話 後編

鷹ノ巣では初めはしゃいで居て豪雨の中を発着する「あけぼの4号」とか撮ってました。夜であっても手持ちで1/15secとかならばそれなりの写真を、写せるとわかったのと、クロスフィルターの乱用(レンズ保護フィルター替わりにつけっぱなし)が相まっての記録。

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下り線は大館行普通列車が貨物列車を退避、凄まじい水飛沫を上げて通過後も発車せず、後続の特急「いはほ3号」が到着。本来であれば、普通列車は大館まで先行のはずが様子がおかしくなって来た。とここで放送が入り、雨量計が規制値を超えて運転見合わせとのこと。いなほがどっかと居座り乗車予定の俺たちの「しらゆき、きたかみ3号」もどこかで抑止の模様だ。仕方ないので、駅舎に行くも駅そば屋とか売店は終わっており、41年前なので駅前にコンビニなどというものはなく、兵糧攻めが決定。目の前のいなほの食堂車からは良い匂いが漂う。同行の友人がホームに居た専務車掌に特急券なしで食堂車行ってよいかと聞き撃沈のため、今更こっそり食べにいくわけにも行かずにも退避の普通列車の中でふて寝することにした。その普通列車の雨樋からは雨水が溢れ凄まじい降雨量なのは一目瞭然。

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結局、再開まで90分近く掛かり後続のDC急行に乗り込むと回復運転のためかやたらに飛ばすが、大釈迦あたりで蚊に刺されて痒い。空腹と痒さがなければ豪快な気動車急行の力走を楽しむ余裕なし。
青森には、90分遅れの23:50到着。ホームのお弁当屋さんでどうにかホタテ釜飯を仕入れてようやく兵糧攻めから解放された。そんなわけで、乗り鉄旅で得た教訓は予備の食料を持ち歩けということであった、
青森からは上りの八甲田に乗るが行程的に北東北にとどまりたかったため深夜の盛岡で下車し、下りの八甲田に乗り継いたがこちらも50分延で八戸線の乗り継ぎはダメそうなのでふたたび青森まで行って、この日は黒石線と五能線に向かったのであった。

大雨影響で食事を摂りそこねそうになった話 前編

昭和56年夏、東北ワイド周遊券を持って、新幹線開業前の東北地方を巡る旅に出ていたときのお話です。メインのターゲットは、新幹線開業で激変する優等列車の撮り&乗りであるが、ローカル線乗り潰しも効率よく行いたい狙いもあり、初日から2日目は宮脇俊三氏の著書、時刻表2万キロの工程をまんまトレースさせてもらった。
つまり、前夜の上野を「津軽1号」でスタート、早朝の大曲で旧型客車の普通列車に乗り換えて角館に行き、まずは角館線往復。著書ではここから路線バスだが、高校生の身分では周遊券があるので、客車列車2本を乗り継ぎ秋田着。秋田からは急行「しらゆき」で初めての日本海に感動していると海をバックに少し離れた下り線を20系「天の川」が通過するという最高のシチュエーションに感動しつつ羽後本荘着。今度は矢島線を往復し待ち時間があるので駅そば屋でざるそばの昼食を食していたが、駅の建替工事中で居場所がない上に付け合せの鶉の卵を不注意で中身を飛散させて指がベタベタになり不機嫌が最高潮のところに急行「きたぐに」登場。ようやく冷房車に乗れたので仮眠を貪ると秋田を出発するところだった。そのまま快適な車内で過ごし鷹巣下車。ここからは阿仁合線往復。終点比立内の折返しは40分くらいあったが、ちょうど駅裏の畑で農薬散布があって全開の窓から風向きの関係でもうもうと入ってきたために燻されまくったのには閉口したが、その時点で車内にいたのはわずかなので大勢に影響なし。夕暮れ時の折返し列車はガラガラで終点鷹巣に着く頃は日も暮れて雨も降り出してきた。

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と、ここまでは前段で本題はこれからである。
が、話が長ったらしくなるので、ここまでを前編として後編につづく。

【追記】
あれほど、地方交通線に執心だったのは、この時期廃線問題がまた浮上してきたからだったと思う。輸送密度二千人/日以下は廃止されかねない感じだったので危機感を募らせた。

写真は比立内駅の様子
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鉄道150周年記念キーホルダー

NEWDAYSで見つけました。色々種類ありましたが、私はこれにしました。

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昨夜から今日の出来事

昨夜22時前、小田原を6627が通過。:力仕事で疲労のため行く意欲なし
8:20頃:辛子扉が新品の桃輸送 道路渋滞を見誤り撮り逃し
11:20頃国府津から205系廃車回送:ONLINE会議だから無理ー
11:50-12:10頃 何故か中央線グリーン車の試運転が国府津に到着、雨で遅れていたSRCも通過:聞いてねー(情弱)
16:00頃 遅延の5087列車が貨物色PFで通過:貨物輸送のホームページチェック忘れ
17:30頃 ドクターイエローの上り検測通過:忘れてた

おまけ 昨日の朝8時頃 大雨の中歩行中に靴が水没したが、そのまま出社、コンビニで替えの靴下買って社内は作業靴で過ごす。

多分忘れられない 名古屋駅の出来事

あれは昭和57年3月の出来事。その日は午前中に学校で事務手続きをしたらそのまま関西方面に旅行に行く予定。朝のニュースを視ていたら目を疑うような映像が流れた。機関車連結作業のときに客車に突っ込んだらしくひしゃげたブルーの客車が映し出された。いわゆる紀伊号の事故である。
学校で友人と合流して手続きをさっさと済ませると東京駅に向かった。話題は専ら朝のニュースのことになるが、発生は未明の3時ころ、自分たちが名古屋駅を通るのは夕方6時なのでさすがに撤去は終わってるよね、とばかり普通列車に乗り込んだ。第一ランナーは東京を11時半頃出る浜松行で約四時間半掛けて走る。東京口には珍しいグリーン車非連結列車で静岡こ111系編成。シートはクッションがかなり草臥れた印象。しかも、途中で長時間停車が無いため後半は苦行みたいになっていた。浜松からの第二ランナーは153系編成の中京快速で、快速となるのは豊橋から岐阜だが小気味良い高速運転で18時少し前に名古屋到着。ここで、周りを見渡すとひしゃげた青い客車が目に入り、撤去作業がまだ終わっていない様子とわかったため、予定を変更して快速を降車した。
淡々と書いてきたが、当時なら、大垣夜行でなくても普通列車二本の乗り継ぎで名古屋まで行けることに今更ながら感心した。

撤去作業の様子だが、事故の起きたホームは閉鎖れているものの両隣のホームは列車が発着しておりロープこそ張られているものの、作業の様子は特に目隠しされるでもないため、夕方の帰宅ラッシュ客に野次馬されている状況だった。

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既に衝突したDD51と客車は数10m離されて置かれていて、DD51ほボンネットはひしゃげ、客車(14
号車、スハネフ14)は機関車側が持ち上がっており機関車が客車の下に潜り込んだらしい。機関車側の台車は車体長の半分くらいまで押し込まれた位置にあり、客車は崩れ落ちないように仮組みした角材の上に載せられていた。少し離れた位置にあった隣の13号車の妻板は跳ね上げられた14号車に押されて潰れていた。
その横では操重車ソ80こクレーンが散乱したガレキと化した部品を片付けしている真っ最中。
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ここには写っていないが、ホームの反対側にキハ58に挟まれた救援車?らしき旧型客車がいました。結局、名古屋には1時間近く滞在したため、新大阪か京都まで新幹線課金してワープ。当夜の名古屋行「はやたま」に間に合わせるべく天王寺駅に向かった。

この事故は幸いにして亡くなった人はいなかったそうですが、機関車が潜り込んで持ち上げられた客車を改めて見ると、もしも、客車が浮き上がらずに機関車にまともに潰されていたら甚大な被害になっていたかもしれず、DD51の凸型形式が幸いしたのではないかとも思いたくなりました。

ジョイント音を聞きたくて酒匂川

昨日の団臨は、上下ともに連接車の音を聞くために橋梁近くに行きました。下りの本運転はちゃんと動画を撮りましたが上りの回送は暑さから日陰に避難していたので、ダラダラと動画のセッテイング中に来てしまい間に合わず撮りそこねました。

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夕日に薄っすら染まる車体
SNS見てたら南田さんはこの回送列車に乗っていたそうです。