相模線205系

後継E131系が3編成完成しており、205系の先行きがそろそろ気になってきました。

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寒川−宮山

なお、宮山駅はなかなか好ましい佇まいでしたが車では寄りづらい場所だったので沿道からチラ見するだけでした。
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【1981年7月】八甲田60号で失敗

盛岡で一休みして次の行程を検討する。目論見としては上りの夜行急行で福島に行き奥羽本線の下り夜行急行に乗り換えて秋田に行こうと考えた。折よく21:10発の「いわて4号」に乗ると福島に0:51着、1:54発の「おが3号」に乗れば秋田8:07着、そのまま快速になって男鹿10:02着なので寝過ごしても男鹿線に乗れてしまうし、男鹿からの戻りはこの編成が快速列車で秋田まで戻る。
と、ここで時刻表の同じページにある「八甲田60号」の存在に気付いた。盛岡21:13、福島1:02なのでおがに乗り継ぐことも可能。八甲田60号は臨時列車なので定期のいわてよりは空いているだろうし客車列車というのも魅力。そこで方針変更しホームに向かうとED75先頭に12系の長い編成が到着。案の定、乗った車両には数名の先客だけで寒いくらいに冷房が効いていて快適な睡眠ができそう。
ここで、時刻表であることに気付いていたら予定通りいわて4号に乗っていてその後の展開も変わっていたかもしれない。このあることについては後述する。
八甲田60号に乗り洗面を済ませると、静かすぎるゆえに花巻到着も知らず眠りに落ちた。やはり、前夜はほとんど眠れなかったことが影響しているようだ。
そして、時間が過ぎて、とある駅を発車する衝撃で目が覚めた。頭はかなりスッキリしており随分寝たようなので、寝過ごしは確実なのに現在地が分からず頭が混乱。暗いホームに駅名標を探すと「くろいそ」の文字が横切って行った。あああ、やらかしたー、寝過ごしたー。今ので完全に覚醒し、とにかく時刻表を開いてリカバリー策を検討。周遊券の有効期限は充分あるのでなんとか戻りたい。次の停車駅宇都宮で乗り過ごしを申告し、差額を払って戻ろうと決める。その宇都宮駅では事情を話して精算してくださいと伝えると、誤乗扱いにしてくれた。未明に憔悴した感じに見えたのだろうか、駅員さんに感謝。とにかく下りの始発を待ってワイド周遊券のエリアまで戻らなくてはならない。

ところで、いわて4号のあることとは、盛岡−仙台の所要時間である。いわて4号は、盛岡を21:10発車し、仙台23:34で2時間24分で走行する。一方で韋駄天急行で名高いくりこま6号は19:00発、21:18着なので2時間18分と6分差なのである。この違いは、くりこまは通過する前沢、石越、鹿島台にいわてが停車するためで一駅ごとに2分掛かるらしい。このいわて4号の俊足ぶりにこのとき気が付いていたら定期列車ゆえに仙台駅辺りで乗降客でザワついて目が覚めて福島で乗り過ごさずに無事におが3号に乗り継いでいたかも、というのが心残り。結局、男鹿線で14系快速に乗ることは叶わず9年後の訪問となってしまった。

国府津にE131系第3編成到着

後方は小田原厚木道路

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1979年3月頃 横浜線の旧国

この1コマ前が八王子機関区のブレブレなEF65なので中央線車中から撮ったらしいです。この半年後の9月に引退でした。

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【1979年7月】八戸線、久慈線から岩泉線

八戸からは急行「十和田6号」に乗車。このまま周遊券の南限の平(現いわき)まで行っても朝6時台到着で、磐越東線は未乗なので都合は良いが、この日ばかりはそうはいかない。翌日は部分日食があり、北に行くほど欠ける割合が大きいため、初めて体験する日食はなるべく北で見たいと考えていた。
乗った十和田号は14系座席車でバッタンコシートの簡易リクライニングとはいえ、周遊券に課金無しで乗れる最高ランクの車両である。2時間半ほど乗って深夜に降りるので寝ないようにしていたが盛岡に気が付かなかったので少しウトウトしたようだか、1:25着の北上で乗り過ごすことなく降車。ここで下りの「八甲田」を待つ。次の水沢でも良いのだが夕方降りて様子が分かっている北上にしたのだった。この一時間ほどの間で印章が強かったのは、相次いでDD51重連の上下貨物列車が通過したこと。後でタイヤを見たら北上操車場から花巻の間にスジが引かれていたので多分釜石線の貨物列車だろう。40年前は物流の一翼を担っていたのだ。
2:34発の「八甲田」に乗車、席が空いているか懸念していたが難なく着席できた。八戸で降りるためあまり熟睡できないまま4:52到着。何日か前にこの乗り継ぎに失敗下之で胸をなでおろしキハ40系の気動車編成に乗り込む。5:13八戸出発で約2時間を淡々と過ごし7:19久慈到着。一応起きていたが途中の印象が薄く、久慈駅前に大勢集まっていた高校生の方が印象的だった。
8:10の普代行は別編成で雑誌に紹介されていた海を見下ろす橋とかを通り8:50到着。ここからは9:30発の国鉄バスで岩泉を目指す。時刻表では北山崎乗換となっていたが、バスは直通となっていて数分停車となっていた。運転士さんから景色を見たい人はどうぞと放送があり高台のバス停から眼下を見下ろすと美しい海が広がっていた。美しい景色に後ろ髪惹かれつつあとの行程があるのでバスに乗り続け12:34岩泉駅到着。既に部分日食は始まっていて、用意してきた自作の観測板で太陽を覗く。あっという間に時間が過ぎて、13:23発の岩泉線に乗って14:20茂市到着、接続良く14:26の急行「よねしろ2号」に乗り換えて宮古に14:45到着。
このあとは15:10発の宮古線に乗り田老15:29着。たしかキハ52の単行で1日4本なので結構な乗車率であった。折返しまで8分しかないので教科書にも乗っていた大防潮堤を一瞥して引き返すのみであった。しかし、あの堤防を持ってしても、津波を防げなかったとは自然の驚異は凄まじいと改めて思う。
15:37発の列車はトンネル多数の区間を戻り宮古に15:55着。ここでようやく駅そばの昼食にあり付き、16:19発の急行「五葉」で盛岡を目指す。陸中川井駅に停まると盛岡まで約1時間半ノンストップとなり、ここで気が緩んだのか寝落ち、スイッチバックの浅岸、大志田駅を見過ごしてしまった。ところで、この列車は、盛岡−花巻−釜石−宮古−盛岡と走行する循環急行である。但し、途中の区間だけ乗っても特に感慨は無かったが。18:25盛岡着。ほとんど乗りっぱなしの長い行程はここで一段落。盛岡駅の駅ビルの食堂に向かい夕食とする。とは言っても、今宵の宿はまた夜行列車、乗り鉄少年の旅はまだつづくのである。

臨時急行「けせん」補遺

この列車のことですが、当時の時刻表はなく、検索しても見つからないので過去画像を掘り起こし、この画像を見つけました。

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車両と愛称サボは前に掲載した覚えはありますが、これは初めてだったやうな。行き先のさぼが、吉浜さかり−盛岡となってます。そんな駅名は無かったので、おそらくは吉浜だけだとどこだか分からないのでこうしたのかと(特急かいじの甲府·竜王と似たような理由)。しかし、レジャー臨とはいえ、盛線まで入っていたとは驚きました。

【1981年7月】気仙沼線と臨時急行「けせん」に乗った話

この年の夏は翌年の東北新幹線開業に備えて宮城の親戚を拠点にして東北地方を旅行していた。その全体像煩雑すぎることもあって、パート毎に紹介しようと思う。
この日はまず気仙沼線に乗るべく東北本線下り535列車に小牛田まで乗車し12:46着。3分の乗り換えで女川·気仙沼行に乗り換え。前谷地駅で切り離しとなるが、発車までなんと29分待ち。しかしながらどのように過ごしたのか記憶なし。ここから113分掛けて気仙沼線を辿る。この30年後によもやあの様な被害が出るとは思いも依らなかった。
気仙沼15:27着、2分の接続で一ノ関行の大船渡線列車があるが目的が違うのでこの列車は見送る。時刻は曖昧だかおそらく20-30分ぐらい待って、盛岡行の臨時急行「けせん」に乗車。編成はキハ58系2両だった。愛称サボを写せば目的はほぼ果たしたも当然だが、どちらにしても移動するため一ノ関方面を目指す。途中、陸中門崎では旧型客車の普通列車と交換。停車時間があったので駅の外に出てみると駅名が右書きで書かれていた。
このあとの行程は翌朝5:13までに八戸に行けば良いので、周遊券を活用して夜行列車に乗れば良い。睡眠時間を考慮すれば、なるべく南下して下り「八甲田」に乗ればよいが、一ノ関で上り「あぶくま」は間に合わないため、「くりこま6号」に乗り仙台から2128M(福島から急行「あづま4号」になる列車)に乗っても白石で降りないと下り「八甲田」には間に合わない。そのため、「けせん」に乗り続け北上駅で下車。腹ごしらえのため改札口横にあったカフェでカレーライスの夕食を済ます。北上からは後続の「いわて3号」で盛岡20:07到着。3分の接続で八戸行1525列車に乗り継いだ。八戸まで旧型客車を2時間ほど堪能して22:16に八戸到着。
とはいえ、宿泊する金銭的余裕は無いため、上り夜行と下り夜行を組み合わせての車中泊する必要がある。折よく41分後には「十和田6号」がやって来るので乗ることにした。
(つづく)

1976年頃のポケット時刻表

実家の荷物から出てきました。国鉄発行なのに西暦表示は意外な感じがします。

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下界より5℃以上涼しい

麓が31℃くらいを示す時に、強羅付近は25-26℃ほどでした。

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横浜市長選挙ポスター

ヤッシーが立候補ですか。さあて、市民はIRをどう評価するのか。

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