続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
写真は無いけど気動車急行アルプスの思い出
確か昭和50年の改正までは中央東線にもDC急行が走っていて、八王子に住んでいた頃に何回か遭遇したことがある。
しかしながら、遠足のバスに乗ると高確率で乗り物酔いしていた身としては、あの排気ガスの臭いが大の苦手。駅で気動車が来たと分かるとホームの奥の方に引っ込んでなるべく息を止めているのであった。
そんなとある日、ちょうど西八王子駅で電車待ちしていると、まさに轟音高らかに姿を現した。煤で真っ黒に染まった屋根、盛大に煙を吹き上げて通過後、暫くはあの苦手な臭いが漂っていた。
あれほど毛嫌いしていた気動車急行であるが、編成の内訳はダブルエンジンのキロ58、強馬力エンジンのキハ65、富士急オリジナルの両運キハ58が繋がっていたはずで、あと5年ほど残っていれば被写体としての魅力を見い出せたのに時期的に間に合わなかったのは残念至極である。
そう、高校進学の頃には気動車は好物になるのだから人間不思議なものである。
キハ65だけは西日本で会えたが、キロ58も富士急のキハも結局会えずに終わったのだった。
しかしながら、遠足のバスに乗ると高確率で乗り物酔いしていた身としては、あの排気ガスの臭いが大の苦手。駅で気動車が来たと分かるとホームの奥の方に引っ込んでなるべく息を止めているのであった。
そんなとある日、ちょうど西八王子駅で電車待ちしていると、まさに轟音高らかに姿を現した。煤で真っ黒に染まった屋根、盛大に煙を吹き上げて通過後、暫くはあの苦手な臭いが漂っていた。
あれほど毛嫌いしていた気動車急行であるが、編成の内訳はダブルエンジンのキロ58、強馬力エンジンのキハ65、富士急オリジナルの両運キハ58が繋がっていたはずで、あと5年ほど残っていれば被写体としての魅力を見い出せたのに時期的に間に合わなかったのは残念至極である。
そう、高校進学の頃には気動車は好物になるのだから人間不思議なものである。
キハ65だけは西日本で会えたが、キロ58も富士急のキハも結局会えずに終わったのだった。