続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
つばさ52号乗車記
写真すら残してなかったゆえに乗ったことさえも忘れてしまった乗車記録の紹介です。
なぜ写真を撮らなかったかというのは、ヘッドマークが付かないための一言に尽きます。
1979年12月中旬、少し早い冬休みを利用して宮城県の親戚に向かった。仙台·松島ミニ周遊券を買うと効力を活用すべく、急行「いわて1号」に乗り込んだ。上野12:06発のためか自由席は空いており1ボックスを確保してのスタートとなった。但し道中は少年漫画誌に夢中であまり覚えてはいない。およそ2時間半後の黒磯では後続のはつかりに道を譲る。通過のはずがやって来た583系は何故か一旦停車していたのでこの事だけは覚えていた。上野からの時間差は27分。更に進んだ白石では上野を54分後に出たひばりに道を譲るが記憶なし。流石に上野から4時間半近くを要し居眠りしていたのかも。
17:23に仙台到着。特急だと下車となるがそのまま降りずに居るのが新鮮な感覚で17:47に松島で下車した。この上野から乗り換え無しで松島まで行けるというのを一度やってみたかったので望みを達成。
滞在中は周遊券を活用して丸森や石巻まで乗り鉄するなどして数日を過ごした。
復路は、松島12:52発の「いわて2号」に乗車。まずは14:28着の福島を目指した。この列車では100km以下となる塩釜〜福島でグリーン券を購入。何かの本で読んだ急行型のグリーン車は一段下降窓で眺めが最高とというのを体験したかったのが理由であるが、確かに眺めは最高だったが、ガラガラの車内に高校生が一人で乗っているのは何となく居心地が悪かった。
福島駅ではおよそ一時間の待機だが、ホーム中程の待合室でまたもや漫画誌に夢中。この間に複数の列車が行き交っていたが、全て完全スルーで今の自分からすれば説教物だが、当時はジャンプやマガジンなどに夢中でおそらくキン肉マンとかのストーリーが気になっていたのであろうか。
15:14赤い交流機に牽かれた列車が入線。先頭での機関車交換は見に行かず自席に収まった。発車は15:27、19:10着の上野までおよそ3時間半の旅路が始まった。同区間を走る電車特急より30分ほど遅いが、貴重な昼行客車特急の旅を心ゆくまで味わう。冬の平日の臨時列車ということもあり、車内は空いており静かで快適な道中となった。
黒磯では、再度の機関車交換があり、あとは時刻表上は上野までノンストップ。というわけで宇都宮駅が近づき期待していると、あろうことか列車は減速し駅に停車。1分程して動き出した。後でダイヤを見ると運転停車の扱いとなっていることが判明。その宇都宮駅では多数の人がホームに居り、停車扱いであればつばさ52号のがら空きも少し解消されるのかもと思わせる風景だった。
この後は日も暮れて景色か見えなくなり、定刻に上野駅に到着。時間的に下り「八甲田」が出る時刻だが夜行列車を見たり撮ったりする意欲は無く自宅に向かったのであった。
臨時列車のつばさはヘッドマークが付かないことが撮影意欲低下の原因の一つであったが、後年に赤い交流機と青い14系の組み合わせ(しかも、客車が座席車で統一された編成美のある内容)の美しさに気がついた時は手遅れで、せめて福島で撮っておくべきだったと後悔して今に至るのであった。
とはいえ、昼間の客車特急に乗れたこと自体は幸せだったと言えるので、当時のマニアックなチョイスには自画自賛な面もあった。
なぜ写真を撮らなかったかというのは、ヘッドマークが付かないための一言に尽きます。
1979年12月中旬、少し早い冬休みを利用して宮城県の親戚に向かった。仙台·松島ミニ周遊券を買うと効力を活用すべく、急行「いわて1号」に乗り込んだ。上野12:06発のためか自由席は空いており1ボックスを確保してのスタートとなった。但し道中は少年漫画誌に夢中であまり覚えてはいない。およそ2時間半後の黒磯では後続のはつかりに道を譲る。通過のはずがやって来た583系は何故か一旦停車していたのでこの事だけは覚えていた。上野からの時間差は27分。更に進んだ白石では上野を54分後に出たひばりに道を譲るが記憶なし。流石に上野から4時間半近くを要し居眠りしていたのかも。
17:23に仙台到着。特急だと下車となるがそのまま降りずに居るのが新鮮な感覚で17:47に松島で下車した。この上野から乗り換え無しで松島まで行けるというのを一度やってみたかったので望みを達成。
滞在中は周遊券を活用して丸森や石巻まで乗り鉄するなどして数日を過ごした。
復路は、松島12:52発の「いわて2号」に乗車。まずは14:28着の福島を目指した。この列車では100km以下となる塩釜〜福島でグリーン券を購入。何かの本で読んだ急行型のグリーン車は一段下降窓で眺めが最高とというのを体験したかったのが理由であるが、確かに眺めは最高だったが、ガラガラの車内に高校生が一人で乗っているのは何となく居心地が悪かった。
福島駅ではおよそ一時間の待機だが、ホーム中程の待合室でまたもや漫画誌に夢中。この間に複数の列車が行き交っていたが、全て完全スルーで今の自分からすれば説教物だが、当時はジャンプやマガジンなどに夢中でおそらくキン肉マンとかのストーリーが気になっていたのであろうか。
15:14赤い交流機に牽かれた列車が入線。先頭での機関車交換は見に行かず自席に収まった。発車は15:27、19:10着の上野までおよそ3時間半の旅路が始まった。同区間を走る電車特急より30分ほど遅いが、貴重な昼行客車特急の旅を心ゆくまで味わう。冬の平日の臨時列車ということもあり、車内は空いており静かで快適な道中となった。
黒磯では、再度の機関車交換があり、あとは時刻表上は上野までノンストップ。というわけで宇都宮駅が近づき期待していると、あろうことか列車は減速し駅に停車。1分程して動き出した。後でダイヤを見ると運転停車の扱いとなっていることが判明。その宇都宮駅では多数の人がホームに居り、停車扱いであればつばさ52号のがら空きも少し解消されるのかもと思わせる風景だった。
この後は日も暮れて景色か見えなくなり、定刻に上野駅に到着。時間的に下り「八甲田」が出る時刻だが夜行列車を見たり撮ったりする意欲は無く自宅に向かったのであった。
臨時列車のつばさはヘッドマークが付かないことが撮影意欲低下の原因の一つであったが、後年に赤い交流機と青い14系の組み合わせ(しかも、客車が座席車で統一された編成美のある内容)の美しさに気がついた時は手遅れで、せめて福島で撮っておくべきだったと後悔して今に至るのであった。
とはいえ、昼間の客車特急に乗れたこと自体は幸せだったと言えるので、当時のマニアックなチョイスには自画自賛な面もあった。