続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
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自転車を持って北海道旅2
森駅では小休止する時間があったものの名物イカめしは買えなかったのか、満腹だったのかありつけず、キハ183系の特急北斗13号に乗込む。この旅では何故か録音鉄の用意をしており、青函トンネルのはつかりに引き続き、長万部〜伊達紋別でトンネル区間を高速走行する様子を録音した。キハ183-500番台はキハ181同様にDML30系列のエンジンを搭載するので楽しみにしていた。苫小牧駅で下車、駅近くのビジネスホテルに投宿。
翌日は日高本線を目指すので早起きだ。
そして6時前の列車で出発。まずは静内駅まで行き、自転車を組み立てると桜の名所三十六間道路に向かった。静内からおよそ9km来たものの桜にはまた早かった。函館あたりはちょうど良い感じなので期待していたものの敢え無く撃沈。なおここ静内は競走馬の故郷でもあるが、悲しいかなその価値が分からないため素通りするのみ。意気消沈して戻るが静内駅には戻らずに様似寄りの駅を目指す事にしたが、道がよく分からずしかも国道を走っても楽しくないので東静内駅で挫折。
あとはやってきた気動車で終点様似を目指す。襟裳岬はこの先だが、気力を使い果たしたので、折返しの列車で苫小牧まで戻る。途中、海の凄く近くを通る箇所もあり、高波が来れば影響を受けやすい事情が垣間見えたのだった。苫小牧に着いたらすでに夕方で千歳線の特急に乗り継ぎ、この日は札幌に宿泊した。
翌日は日高本線を目指すので早起きだ。
そして6時前の列車で出発。まずは静内駅まで行き、自転車を組み立てると桜の名所三十六間道路に向かった。静内からおよそ9km来たものの桜にはまた早かった。函館あたりはちょうど良い感じなので期待していたものの敢え無く撃沈。なおここ静内は競走馬の故郷でもあるが、悲しいかなその価値が分からないため素通りするのみ。意気消沈して戻るが静内駅には戻らずに様似寄りの駅を目指す事にしたが、道がよく分からずしかも国道を走っても楽しくないので東静内駅で挫折。
あとはやってきた気動車で終点様似を目指す。襟裳岬はこの先だが、気力を使い果たしたので、折返しの列車で苫小牧まで戻る。途中、海の凄く近くを通る箇所もあり、高波が来れば影響を受けやすい事情が垣間見えたのだった。苫小牧に着いたらすでに夕方で千歳線の特急に乗り継ぎ、この日は札幌に宿泊した。
自転車持って北海道旅1997年4月
この頃は自転車を輪行して旅行するのがマイブームで、ゴールデンウィークの前半にサクッと旅行に行ってしまえと思いたつと、そそくさと荷物を詰め込み最寄り駅に向かった。
行き先は道南メインだが日高本線にも行きたかったので、道南ワイド周遊券(日高本線は範囲外)ではなく、北海道向けにテスト販売されたばかりのゾーン周遊きっぷというのを購入することにした。
しかしながら、このきっぷを売るのは初めてらしくて、発券に手こずってるようでなかなか出てこない。その間みどりの窓口に来る客はおらず日曜の夜であったことに感謝した。
そんなわけで、上野駅から臨時八甲田に乗ることは諦めて、東北新幹線で小山まで先回りすることにして、臨時八甲田は寝台車が連結されているので、寝台に乗ることとした。
上野では入線から見るつもりで早めに出てきておいて良かった。まあ、長距離移動のきっぷを出発時点で買うやつもどうかとは思うが、この時は本当に思い付きの旅行だったようだ。
とにかく、横須賀線の上り列車に飛び乗り、東京からは最終の「なすの」で小山まで移動。小山では少し時間があり、水戸線の415系の入換風景を眺めている内に旅行気分が高まってきた。
やってきた「八甲田」は14系座席車と寝台車の混成編成。3段B寝台の指定された席にに向かうとこの区画は無人、おそらく次の宇都宮からも乗ってこないだろうし、そもそも乗った車両は5-6人程度の乗りだった。
宇都宮を出ると快調なペースで走り次の黒磯では機関車交替のはずであるが、寝台は編成の後方なので見に行くのは端折ってしまう。
今回は自転車旅行なので撮影機材は軽くするためコンパクトカメラのみ(一眼レフだと壊すリスクもある)で、夜の撮影はパスと考えていた。とはいうものの、相棒のキヤノンAutoboyLUNAは結構活躍してくれた。
黒磯を出たところで就寝、しかしながら白石付近で激しい揺れて目が覚めてしまった。しばらく起きていたら、仙台駅2番線に到着。時刻は午前3時頃で、少ししたら隣の1番線に後続の特急はくつるが到着して先発した。2番線に到着は退避のためかと合点がいった。再び寝落ちして次に目覚めたときは八戸付近。
野辺地に停まると、営業休止間近の南部縦貫鉄道に向かうらしき人たちを多数見かけた。
そして、9時すぎの青森に到着。
青森からは、盛岡から来た特急はつかり1号で函館を目指す。リニューアル編成の485系3000番台と言えど、走行音はオリジナルのままなので青函トンネルの高速走行を堪能して函館へ。ここですぐに特急北斗に乗り継いで大沼公園で下車。
ここで、ようやく自転車の登場。ここに来た理由は、2年前に結構いい感じのダート路が赤井川付近にあったから。愛車はもちろんMTB,10年ほど前は砂利道で前転ゴケして痛い思いをしたので2年前に東大沼温泉まで走ってリベンジ。以来、ダートが好きになってしまったのであった。3-4kmほどのダート路を堪能して、途中で北斗も撮り鉄をしながら森駅に到着。自転車をりんこうぶに収納すると先を目指すためホームに入った。
行き先は道南メインだが日高本線にも行きたかったので、道南ワイド周遊券(日高本線は範囲外)ではなく、北海道向けにテスト販売されたばかりのゾーン周遊きっぷというのを購入することにした。
しかしながら、このきっぷを売るのは初めてらしくて、発券に手こずってるようでなかなか出てこない。その間みどりの窓口に来る客はおらず日曜の夜であったことに感謝した。
そんなわけで、上野駅から臨時八甲田に乗ることは諦めて、東北新幹線で小山まで先回りすることにして、臨時八甲田は寝台車が連結されているので、寝台に乗ることとした。
上野では入線から見るつもりで早めに出てきておいて良かった。まあ、長距離移動のきっぷを出発時点で買うやつもどうかとは思うが、この時は本当に思い付きの旅行だったようだ。
とにかく、横須賀線の上り列車に飛び乗り、東京からは最終の「なすの」で小山まで移動。小山では少し時間があり、水戸線の415系の入換風景を眺めている内に旅行気分が高まってきた。
やってきた「八甲田」は14系座席車と寝台車の混成編成。3段B寝台の指定された席にに向かうとこの区画は無人、おそらく次の宇都宮からも乗ってこないだろうし、そもそも乗った車両は5-6人程度の乗りだった。
宇都宮を出ると快調なペースで走り次の黒磯では機関車交替のはずであるが、寝台は編成の後方なので見に行くのは端折ってしまう。
今回は自転車旅行なので撮影機材は軽くするためコンパクトカメラのみ(一眼レフだと壊すリスクもある)で、夜の撮影はパスと考えていた。とはいうものの、相棒のキヤノンAutoboyLUNAは結構活躍してくれた。
黒磯を出たところで就寝、しかしながら白石付近で激しい揺れて目が覚めてしまった。しばらく起きていたら、仙台駅2番線に到着。時刻は午前3時頃で、少ししたら隣の1番線に後続の特急はくつるが到着して先発した。2番線に到着は退避のためかと合点がいった。再び寝落ちして次に目覚めたときは八戸付近。
野辺地に停まると、営業休止間近の南部縦貫鉄道に向かうらしき人たちを多数見かけた。
そして、9時すぎの青森に到着。
青森からは、盛岡から来た特急はつかり1号で函館を目指す。リニューアル編成の485系3000番台と言えど、走行音はオリジナルのままなので青函トンネルの高速走行を堪能して函館へ。ここですぐに特急北斗に乗り継いで大沼公園で下車。
ここで、ようやく自転車の登場。ここに来た理由は、2年前に結構いい感じのダート路が赤井川付近にあったから。愛車はもちろんMTB,10年ほど前は砂利道で前転ゴケして痛い思いをしたので2年前に東大沼温泉まで走ってリベンジ。以来、ダートが好きになってしまったのであった。3-4kmほどのダート路を堪能して、途中で北斗も撮り鉄をしながら森駅に到着。自転車をりんこうぶに収納すると先を目指すためホームに入った。
181系気動車のトリハダ体験(やくも 倉敷−岡山)
1980年の夏は山陰地方を旅行していた。終盤は、念願の「やくも」乗車と決めていたので、米子からやくも12号の自由席に乗車。まずは、営業している食堂車に向かう。学生旅行にしては贅沢だがキサシ180最後の営業とあれば外せない。但し、ちょっと失敗だったのは上り勾配区間でエンジンの無い食堂車に行ってしまったため峠に挑むエンジンの咆哮は味わえなくなっていたのだ。
自席にもどると列車は新見手前を走行中であまりエンジンが活躍する場面にあうこともなくあまり印象にのこっていない。そうこうするうちに、通路を挟んだ向こう側から呼ぶ声が聞こえた。さきほどから、20代くらいのお兄さんを相手に苦労話を聞かせていたオジサンに発見されて召喚されてしまったのだ。こういう方、会社でも時折おりますね。苦労話を聞くのは嫌いでは無いけどこのタイミングではちょっとと思いつつもお話に加わる。大概、こういう時はどこからきたとか、年は幾つだとか、旅行の目的とか聞かれるがただの乗り鉄とか理解して貰い難いので旅行が好きな高校生という説明をしておく。そんなこんなで、備中高梁を過ぎて列車は倉敷に到着した。岡山まであと12分、社交上手では無い自分としてはようやくと思っていると、ここで列車が豹変。
今までとは異なるエンジンの唸りで加速を始めたのだった。そんな訳で、片方の耳でお話を聞きながらもう片方の耳はエンジンに全集中。山陽本線内の最高速度は120km/hなので、これまでとは売って変わった咆哮を奏でながら列車は走り出した。
過去に「つばさ」は東北本線内を凄まじい走りを見せたそうだが、おそらくはこんな感じだろうと思われる熱い走りをみせて「やくも」は岡山駅に滑り込んだ。その印象はまさに鳥肌モノで、景色が見えない分だけ音に集中したのてあった。そして、放心状態のままホームに降り立ち、新幹線に向かうオジサマたちを見送った。
後日、この方からは達筆の暑中見舞い状が送られてきたので、お礼状を返したのは言うまでもない。
しかし、このやくもの走りはもう一度味わいたかったものの叶わず、後日「はくと」や「はまかぜ」の山陽線区間に何度も乗ることとなった。
自席にもどると列車は新見手前を走行中であまりエンジンが活躍する場面にあうこともなくあまり印象にのこっていない。そうこうするうちに、通路を挟んだ向こう側から呼ぶ声が聞こえた。さきほどから、20代くらいのお兄さんを相手に苦労話を聞かせていたオジサンに発見されて召喚されてしまったのだ。こういう方、会社でも時折おりますね。苦労話を聞くのは嫌いでは無いけどこのタイミングではちょっとと思いつつもお話に加わる。大概、こういう時はどこからきたとか、年は幾つだとか、旅行の目的とか聞かれるがただの乗り鉄とか理解して貰い難いので旅行が好きな高校生という説明をしておく。そんなこんなで、備中高梁を過ぎて列車は倉敷に到着した。岡山まであと12分、社交上手では無い自分としてはようやくと思っていると、ここで列車が豹変。
今までとは異なるエンジンの唸りで加速を始めたのだった。そんな訳で、片方の耳でお話を聞きながらもう片方の耳はエンジンに全集中。山陽本線内の最高速度は120km/hなので、これまでとは売って変わった咆哮を奏でながら列車は走り出した。
過去に「つばさ」は東北本線内を凄まじい走りを見せたそうだが、おそらくはこんな感じだろうと思われる熱い走りをみせて「やくも」は岡山駅に滑り込んだ。その印象はまさに鳥肌モノで、景色が見えない分だけ音に集中したのてあった。そして、放心状態のままホームに降り立ち、新幹線に向かうオジサマたちを見送った。
後日、この方からは達筆の暑中見舞い状が送られてきたので、お礼状を返したのは言うまでもない。
しかし、このやくもの走りはもう一度味わいたかったものの叶わず、後日「はくと」や「はまかぜ」の山陽線区間に何度も乗ることとなった。
篠ノ井線1442M 1980/3 吊り掛けクモニと115系のコラボ
かつては中央東線〜篠ノ井線の普通列車には旧国を改造したクモニ83なクモユニ82を連結した列車があった。実家は八王子なので散々見ていた割にはこの編成の面白さに気づいたのは遠く離れた篠ノ井線だった。
この時は上野駅から上越線経由の直江津行急行「よねやま」に乗り、越後川口から飯山線を辿って長野駅に18時過ぎに到着。乗り換えの都合とは言え、上野からおよそ9時間掛かっての長野入りである。が、目的地はまだ先のため18:30発の松本行1442Mに乗り換える。車両は三鷹区のスカ色115系の8両編成にクモニ83、クモユニ82が1両か2両連結されていた。時間的に帰宅ラッシュのため空席を見つけたのは前方のクモニの次位のクモハ115だった。発車時刻になり、ドアが閉まると少しガクガクしたような感じで列車が動き出したが、隣がクモニゆえにほとんど吊り掛けモーターの音が支配的に聞こえてきた。
おお、これはまるで旧型国電に乗っている気分が味わえるのか!と感心しているとノッチオフされて今度はカルダンの音が主体に。
篠ノ井までは信越本線なので吊り掛け高速走行音までも楽しんでいると、篠ノ井線に入り今度は山越えとトンネル区間なので豪快なモーター音に酔いしれている内に1時間26分の旅を終えて松本到着。
列車はここで1時間の大休止の後442Mとなって新宿を目指す。つまり、この列車中央東線夜行の上りバージョンなのだ。とはいえ、長野18:30発では、在来線特急のあさまでも上野に日着可能な時刻なのでこんな間延びした列車に乗り通すのは相当なもの好きであろう。
我々は、長野から追い掛けてきた急行天竜の中津川行編成に乗り換え。但し、松本からは普通列車扱い。中津川では待合室で夜を明かし、翌朝の明知線に向かう予定なのだ。
その後、中央東線の普通に乗るとなるべくクモニの隣のクモハに乗るべく心がけていたが如何せん乗る機会が少なく、音鉄て記録したのは荷物電車連結廃止の間際であった。
この時は上野駅から上越線経由の直江津行急行「よねやま」に乗り、越後川口から飯山線を辿って長野駅に18時過ぎに到着。乗り換えの都合とは言え、上野からおよそ9時間掛かっての長野入りである。が、目的地はまだ先のため18:30発の松本行1442Mに乗り換える。車両は三鷹区のスカ色115系の8両編成にクモニ83、クモユニ82が1両か2両連結されていた。時間的に帰宅ラッシュのため空席を見つけたのは前方のクモニの次位のクモハ115だった。発車時刻になり、ドアが閉まると少しガクガクしたような感じで列車が動き出したが、隣がクモニゆえにほとんど吊り掛けモーターの音が支配的に聞こえてきた。
おお、これはまるで旧型国電に乗っている気分が味わえるのか!と感心しているとノッチオフされて今度はカルダンの音が主体に。
篠ノ井までは信越本線なので吊り掛け高速走行音までも楽しんでいると、篠ノ井線に入り今度は山越えとトンネル区間なので豪快なモーター音に酔いしれている内に1時間26分の旅を終えて松本到着。
列車はここで1時間の大休止の後442Mとなって新宿を目指す。つまり、この列車中央東線夜行の上りバージョンなのだ。とはいえ、長野18:30発では、在来線特急のあさまでも上野に日着可能な時刻なのでこんな間延びした列車に乗り通すのは相当なもの好きであろう。
我々は、長野から追い掛けてきた急行天竜の中津川行編成に乗り換え。但し、松本からは普通列車扱い。中津川では待合室で夜を明かし、翌朝の明知線に向かう予定なのだ。
その後、中央東線の普通に乗るとなるべくクモニの隣のクモハに乗るべく心がけていたが如何せん乗る機会が少なく、音鉄て記録したのは荷物電車連結廃止の間際であった。
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