衝動買い

ちょっとお高めの価格ですが、こちらを購入しました。

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理由は西武山口線の記事があったため。

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特にこのバッテリーロコについて知りたかったのです。

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高校が西武沿線だったので、その頃から存在は知ってましたが、「おとぎ電車」なる呼称が当時斜に構えた小生意気な高校生には響かなかったようで、蒸気機関車が走っていることを知ったのは大学のサークルでユネスコ村に行った時はが初めてで、既に終焉間際でしたので再訪は叶いませんでした。
後年こちらのバテロコの存在をきちんと知り、この愛らしい姿を現役時代に気づかすに見に行かなかったことを、今になって大いに後悔しています。
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夜行列車風

ムーンライトながらではなく、湘南ライナー到着後の回送列車です。

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【妄想鉄の世界】クロ103-900番台

鉄道趣味は色々なジャンルがありますが、空想鉄道(妄想鉄道?)なるジャンルがあります。ご多分に漏れず私も実家周辺に私設鉄道を展開しましたが高校で友人にお披露目しづらいこともあって、現実の路線を妄想の中で改造していく方にシフトしていきました。

第一弾は、中央線快速電車用のグリーン車です。当時は通学で使っていての発想です。
時期は1980年、中央快速線は101系と103系が主流で201系は試作編成のみなので、おそらくは103系メインとなることを想定しました。
中央線快速電車は10両編成なので、高尾方に1両増結(11号車として)するためにクロ103を試作的に新造。車両の構造は、クハ103の高運転台仕様とし客室はサロ110-1200番台を参考にした。運転席後方の乗降扉は700mm幅、連結面側は1000mm幅とした。塗装色はオレンジバーミリオンとし、薄緑色の等級帯のテープを窓下に貼付した。中央線快速のグリーン車は初登場のため、旅客案内の観点で帯を表示することとした。
中央線の多くの駅ホームは10両編成対応なのでグリーン車に連結時はクロ103がはみ出す形で停車し連結面側の扉のみを使用することでホームの延長を最小限とした。
客室は乗降口を仕切り、サロ110同様簡易リクライニングシートを設置。ただし、車体幅が狭いので窓側は肘掛けを583系のような埋め込み構造、通路側は固定として座席のみが回転する構造となっている。
なお、10号車には東西線乗り入れ車ベースのクハ103-1300番台を製造して貫通構造とした。これは時間帯によってグリーン車を外して通常の10両編成で運転するためであった。

クロ103は試作車が2両製作されたが、その後201系が量産移行したことやグリーン車が定着しなかったこともありホリデー快速で暫く使われた後に2000年頃に廃車となった。
(以上、妄想終わり)

深夜の名優共演でYOASOBI

251系からの置換以降は深夜に185系ライナーの共演が繰り広げられ、夜あそびの誘惑が。
左、湘南ライナー13号15両編成、右、ホームライナー小田原23号10両編成。
15両編成はホーム一杯一杯に止まるので頭を揃えての撮影は難しいですが。

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両編成が回送で出ていった数分後には夜の女王、サンライズの通過もあります。
とは言うものの、自粛期間の今はなかなか会えない景色です。

踊り子号185系記念弁当

ようやく手に入れました。

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このはしぶくろはキープです。
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鉄道THEプロジェクト 国鉄581·583系

立派なDVDフォルダー付。
流石にこの特集は見逃せず購入しました。583と書いてあるとソワソワしてほとんどホイホイ状態で捕らえられてます。

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373系「ムーンライトながら」乗車記 1997年秋

巷では「ムーンライトながら」の廃止が話題となっているが、自分の場合はたしか24年前に乗ったのが最後の乗車体験(厳密には2000年頃の春に救済便の品川〜横浜があるが、帰宅のためで、この列車本来の使い方ではないので割愛)を綴ってみたいと思う。
乗車日は曖昧だが、1987/10/11で廃止になる京阪京津線訪問のためなので、この年の9月か10月のはず。高校、大学以来の鉄友とのお別れ乗車の旅である。
出発は金曜日の夜で友人は品川から自分は横浜から乗車予定でムーンライトながらの指定席を予約した。さほど混まない時期ではあるが、名古屋迄の指定席は取れず小田原から自由席となる車両の席となった。とはいえ、座ってれば良いので名古屋迄座席が確保できたのと同義である。
出発当日は結構遅くまで残業があり、家ではシャワーを浴びるだけでほぼ時間切れ。最寄り駅まで行って夕食代わりの牛丼(なんと神戸ランプ亭!)と駅コンビニでビール、トリスポケット瓶、氷など仕入れて横浜駅に向かう。
ほどなくして「ながら」が入線してきたので乗込む車内には友人と思しき黒い顔も見えた(と思った)。しかし、指定された席に行くと何故か友人は見当たらないが、トイレでも行ったのだろう。まずは空腹を満たすために牛丼を食べ始めた。。ところが食べ終わる頃になっても友人は戻って来ず、列車は茅ヶ崎を通過中。と、ここで電話が鳴ったので出ると、「品川駅で乗り遅れたー」との第一声。ええっ、こっちも上りの終電終わって戻れないけど、などとやり取りをして、結局は朝の新幹線で追いかけてくるので名古屋で合流と決めて電話を切れば平塚通過中だった。しかし、先ほど横浜で見た人物は一体?他人の空似だったのかなあ。
この時点で乗った車両は概ね半分位の乗り具合、夜も更けてきたので車内は静まり返っていた。そして小田原到着。覚悟はしていたけど、ここでワラワラと乗り込んで来て席は9割方埋まった。友人が座るはずだった隣席も乗り鉄風青年が来た。でも、ウイスキーのポケット瓶なんぞ持ってるヤツの横なんかによく座るなあと別の意味で感心した。自分の経験では、呑んべオジサンは長々と説教を垂れるリスクがあるのでそこに空席あっても行かないのだが。
とにかく、小田原組で静寂が破られたので目が冴えてしまった。新たな隣人は話しかけたい雰囲気ではないので(そもそもこちらも来るなよオーラ出していたのもあるが)諦めて眠りに入るがなんか眠れない。
わりと長時間止まる浜松駅でトイレに向かうとそこそこに席が空いていることに気がつく。小田原からの隣人は熟睡しているふうでちょっと苛つくこともあり(寝相がわるい)、何もこんな狭いところにいる必要はないと判断して引越しを決定。はじめは車端部のボックス席にしたがドアが空いていると薄ら寒いので別の席を見つけてお引越し。この後はわりと熟睡して、気がつくと名古屋間近だった。
乗っている車両は名古屋止まりなので、降り支度をして到着するやいなやホームに降りた。朝の爽やかな空気と開放感でとても気持ちが良かった。。
そんなこんなで、ながらには凝りてしまい以降は銀河を使うようになった。とはいえ友人とすれ違いにならなければまた印象は変わっていたかもしれない。
さて名古屋では2時間ほどあるので名鉄の支線に乗るべく新名古屋駅(当時の名称)に向かった。このタイミングで無事朝イチの新幹線に間に合った友人から電話があり、「今どこ」と聞かれると同時にミュージックホーンが鳴り響き、「あー分かった」との返答があって思わず笑ってしまった。この後は名鉄津島線を乗り潰して名古屋に戻り無事に合流、廃止間近の京津線を巡ることが出来た。

2014/3/28 北斗星の入線風景

この1年後に消えるとは思ってもない時期の記録です。なもんで、結構適当に撮ってました。


モノクロームフィルムで「踊り子」

この少しねむい感じがネガの特徴なんですかね。デジカメ画像のモノクロ変換とは少し違うような。エフェクト掛ければネガ調になるでしょうかね。

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乗車案内

185系とE257系の案内が並ぶ過渡期。

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