続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
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80年代 観光主体の会津ラウンドトリップ(2)
3日目の行程は、会津若松の市内観光からスタート。月並みかもしれないが、鶴ヶ城、さざえ堂、白虎隊自決の地などを巡り、戊辰戦争に想いを馳せた。途中で入ったカフェのレジスターは数字が右書きでアンティーク感たっぷりなのはさすが。
昼前には喜多方に移動。列車はDD51の牽く50系客車で短時間ながらDDのサウンドを堪能することができた。
きたかたでは、蔵巡りとラーメンを味わい、14時近くに駅に戻ってきた。喜多方駅では、結局乗りそびれてしまった日中線の名残を偲び、455系の快速「ばんだい」の乗客となった。快速を名乗っているもののかつての急行と変わらないダイヤで快走し、郡山に16:39到着。窓の外を見ると12系の姿が見えるが、実はこの臨時急行は16:39発なので、よもや乗り継げるとは思わず郡山からの行程に頭を悩ましていると、臨時急行ご乗車の方はまもなく発車ですとの放送が聞こえ、地下通路を急いで移動。周りを見ると同じような人を何人か見掛けたが無事に乗り継げたようである。元々この臨時急行は予定に入れてなく、郡山からは新幹線ワープか、普通列車乗り継ぎか、はてまた、郡山から那須塩原まで新幹線というコースを考えていたが、悩まなくて済んでしまった。
この急行、臨時の「ざおう、ばんだい」でこのまま乗っていけば20時過ぎに上野まで連れて行ってくれるありがたい存在。しかも周遊券ゆえに出費も抑えられるので申し分なし。
ほぼ旅行は終わりみたいなものだが、連休中ゆえにいくつかお楽しみがある列車なのでしっかりと楽しませてもらった。
まずは、臨時特急「ひばり」とのすれ違い、お次は白坂駅で臨時特急「ふるさと」に追越されでともに最後尾のスハフ12の窓から記録をさせて貰った。そして、黒磯では先頭に回りED75 700からEF65 1027への交換をチェックと我ながら精力的に動いたが、あとは日暮れを迎えてゆっくり過ごして上野に20:11到着。
昼前には喜多方に移動。列車はDD51の牽く50系客車で短時間ながらDDのサウンドを堪能することができた。
きたかたでは、蔵巡りとラーメンを味わい、14時近くに駅に戻ってきた。喜多方駅では、結局乗りそびれてしまった日中線の名残を偲び、455系の快速「ばんだい」の乗客となった。快速を名乗っているもののかつての急行と変わらないダイヤで快走し、郡山に16:39到着。窓の外を見ると12系の姿が見えるが、実はこの臨時急行は16:39発なので、よもや乗り継げるとは思わず郡山からの行程に頭を悩ましていると、臨時急行ご乗車の方はまもなく発車ですとの放送が聞こえ、地下通路を急いで移動。周りを見ると同じような人を何人か見掛けたが無事に乗り継げたようである。元々この臨時急行は予定に入れてなく、郡山からは新幹線ワープか、普通列車乗り継ぎか、はてまた、郡山から那須塩原まで新幹線というコースを考えていたが、悩まなくて済んでしまった。
この急行、臨時の「ざおう、ばんだい」でこのまま乗っていけば20時過ぎに上野まで連れて行ってくれるありがたい存在。しかも周遊券ゆえに出費も抑えられるので申し分なし。
ほぼ旅行は終わりみたいなものだが、連休中ゆえにいくつかお楽しみがある列車なのでしっかりと楽しませてもらった。
まずは、臨時特急「ひばり」とのすれ違い、お次は白坂駅で臨時特急「ふるさと」に追越されでともに最後尾のスハフ12の窓から記録をさせて貰った。そして、黒磯では先頭に回りED75 700からEF65 1027への交換をチェックと我ながら精力的に動いたが、あとは日暮れを迎えてゆっくり過ごして上野に20:11到着。
実は貴重な東北本線の昼行客車列車の旅が終了した。
喜多方まで乗った50系列車
帰途は快速「ばんだい」、但しグリーン車ではないが。
「ひばり」とのすれ違い(再掲)
「ふるさと」を待避(再掲)
黒磯まで牽いてきたED75
黒磯からはEF65が先頭に
おわり
豪快な爆音!185系「踊り子」
15連の特急が東京を目指して急ぎます。
80年代 観光主体の会津ラウンドトリップ【1】
第一走者は夜行の「佐渡」、臨時急行とはいえ連休中なので早めに並んたと思う。その功あって無事に席は確保できた。車両は曖昧であるが12系だと思うが、機関車は見に行かなかったのか記憶に無い。既にEF58は居ないので興味が無かったのか。
小出着は朝早いけど、せっかくの友人と過ごす夜なので、ビールを酌み交わし他あと少し仮眠。早朝の小出駅に着くと只見線一番列車までの長い待機時間となるが、駅の待合室はほぼ満員。かといって新潟間の山間部にある小出の未明は寒いので我慢して待合室で過ごす。
小出着は朝早いけど、せっかくの友人と過ごす夜なので、ビールを酌み交わし他あと少し仮眠。早朝の小出駅に着くと只見線一番列車までの長い待機時間となるが、駅の待合室はほぼ満員。かといって新潟間の山間部にある小出の未明は寒いので我慢して待合室で過ごす。
ようやく、乗車時間となりホームに行くと、キハ58(または28)とキハ40か48、とあと1両の3両編成だった。多くの乗客はキハ58に向かったのでこちらはキハ40に席を確保。車内はきれいだし空気ばねで乗り心地が良いのが理由だ。
只見線に乗ると、前夜の寝不足から寝落ち、気がつくと大白川駅だった。
ところでこのキハ40の車内はなんだかうすら寒い。キハ58に偵察に尾久と暖かいうえに空席もあったので友人を促して引越。会津川口では川のほとりで美しい景色が印象的であった。
福島県に入ると会津若松に行くのに時間帯が良いためか、駅ごとに乗客が増えてきて列車は大混雑。最後の30分ぐらいは暑さと混雑で我慢大会の様相を呈していた。
会津若松にようやくの思い出たどり着くと、間を置かず磐越西線に乗り換えて猪苗代に向かった。
猪苗代からはトリコロールカラーのバスに利変えて裏磐梯で観光タイム。一通りめぐると猪苗代行きのバスで戻るが、車中は軽く冷房が入っていた。朝は寒さに震えていたとは思えないぐらいの暖かさであった。猪苗代からは磐梯山を眺めつつ会津若松駅まで行き、市内のビジネスホテルに投宿。
城下町の夜は美味しい料理とお酒で楽しく過ごしたのだった。
(つづく)
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