続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
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福岡出張-1
先週は福岡に行く用事がありました。福岡だと大概は飛行機を選択するケースが多いと思いますが、行程を調べた結果、往路は新幹線利用としました。神奈川県西部に住む身としては羽田空港まで結構遠くて、同じ時間に家を出て博多駅到着時間は飛行機と約30分差でした。
結果、車中でたくさん眠れる新幹線に軍配が上がりました。
あさ、小田原から「ひかり631号」に乗ると車中は20名くらいの乗車。乗換の名古屋までは1時間16分なので眠らないように頑張っていると、静岡付近で減速運転に。車内放送によれば「浜松付近で悪天候の影響で徐行運転しており前が詰まっている」とのことで遅れを覚悟していると、速度は回復した模様。その浜松では凄まじい豪雨で洗車機の中に居るような状況に。そんな中でも高速で走る新幹線の凄さに感心していると「定時で」豊橋到着。豊橋機関区の庫などを見ながら加速し
名古屋までは19分なのであっという間な感じで到着。ここで後続ののぞみに乗り換えだが、博多行までは15分あるのできしめんで朝食。「のぞみ7号」は期待したN700Sでは無かったが、こればかりは運なので仕方なし。車内販売からコーヒーとアイスクリームを買う頃には米原通過。外は段々と晴れてきて京都や新大阪では良い天気。姫路城を見たあとは意識が遠のき寝落ちした様で気がつくと岡山。車両基地の黄色い電車群を見ながら福山城を見た辺りでまた記憶が無くなり、気がつくと広島到着。
水が濁っていない様に見えた太田川を横切り、300km/hの高速運転を堪能していると新山口駅直前でオハ35-4000番台を目撃。海底トンネルの実感が無いまま新関門トンネルを抜けて小倉着。ここからは15分で博多なので降り支度をしているとすぐに着いた感じ。
降りてホームをだらだら歩いていたら上りのこだまが来るとの放送が聞こえてきたので待っていたら500系と遭遇でした。
小田原から4時間49分の行路でしたが適度に眠って早起きの寝不足を解消できたので快適な旅路でした。
帰途の工程はその二に記述します。
結果、車中でたくさん眠れる新幹線に軍配が上がりました。
あさ、小田原から「ひかり631号」に乗ると車中は20名くらいの乗車。乗換の名古屋までは1時間16分なので眠らないように頑張っていると、静岡付近で減速運転に。車内放送によれば「浜松付近で悪天候の影響で徐行運転しており前が詰まっている」とのことで遅れを覚悟していると、速度は回復した模様。その浜松では凄まじい豪雨で洗車機の中に居るような状況に。そんな中でも高速で走る新幹線の凄さに感心していると「定時で」豊橋到着。豊橋機関区の庫などを見ながら加速し
名古屋までは19分なのであっという間な感じで到着。ここで後続ののぞみに乗り換えだが、博多行までは15分あるのできしめんで朝食。「のぞみ7号」は期待したN700Sでは無かったが、こればかりは運なので仕方なし。車内販売からコーヒーとアイスクリームを買う頃には米原通過。外は段々と晴れてきて京都や新大阪では良い天気。姫路城を見たあとは意識が遠のき寝落ちした様で気がつくと岡山。車両基地の黄色い電車群を見ながら福山城を見た辺りでまた記憶が無くなり、気がつくと広島到着。
水が濁っていない様に見えた太田川を横切り、300km/hの高速運転を堪能していると新山口駅直前でオハ35-4000番台を目撃。海底トンネルの実感が無いまま新関門トンネルを抜けて小倉着。ここからは15分で博多なので降り支度をしているとすぐに着いた感じ。
降りてホームをだらだら歩いていたら上りのこだまが来るとの放送が聞こえてきたので待っていたら500系と遭遇でした。
小田原から4時間49分の行路でしたが適度に眠って早起きの寝不足を解消できたので快適な旅路でした。
帰途の工程はその二に記述します。
1986年秋、長野県を巡る直流急行型電車お別れ旅-4
松本に戻ると、今度は特急「しなの」で木曽福島へ。381系はこの時が初乗車でこれ以降は乗ったことがなかったことを今更ながら思い出した。木曽福島では街歩きとそば屋での昼食でひと時を過ごし、松本にまた「しなの」で戻った。
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