続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
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渋谷駅工事
湘南新宿ラインが止まっていることを忘れてました。
1985年3月の南東北の旅-8(Last)
急行「まつしま8号」に乗る前に、仙台駅でおろさく変わってしまうであろう日常風景を何枚かスナップに納めた。
旧型客車は見納めか。
こちらは快速「仙山」か。
そして「まつしま8号」の車中の人となり、流れゆく景色に名残を惜しむ。おそらく仙台から上り昼行優等列車に乗るのはこれが最後となれば感慨深い。そのな感じで455系の乗り心地を堪能していると、在来線急行だから空いているだろうと高をくくっていた車内が徐々に混雑して来た。記憶はあいまいだが、確か新幹線が停まらない二本松や本宮辺りからだったと思う。自分のBOXにも結婚式帰りらしい晴れ着の女性が3人座り少し緊張する。その様な感じで往年の幹線急行を思わせる活躍を見せた「まつしま8号」は暮れなずむ南東北路をひた走りいつしか闇に包まれた中を黒磯駅に到着。電源切替の儀式を見送ると後は暗い中をひた走り20時過ぎに上野駅に到着した。
なぜか上野駅では1枚の写真も撮らず(おそらく455系を上野駅でとらえる最後の機会だったにもかかわらず)2日間の行程を終えた。
この時期は東北本線だけではなく、全国各地で注記う急行が終焉を迎えつつある時期だったので、長距離を昼行急行列車で移動する機会はほとんどなくなってしまうのであった。そういう意味では無意味なようで意味のある旅行だったかもしれない。
(おわり)
1985年3月の南東北の旅-6
福島交通の曽根田駅探訪から徒歩なのか電車なのか、どちらで戻ったかは思い出せず、とにかく東北本線の第五走者の535レに乗り込む。車両は待望のオハフ61 3053を見つけて嬉々として着席。何故か東北ではオハフ61にはずっと会えなかったのでこの時は一択。
残念なことにこの車両もフラットが付いていたけど、ここは我慢して乗り通した。というのもあるが、すでに夕方近くのため列車も帰宅客で混み出す時間なのであった。
それでも、手元の記録では藤田から録音をスタートしている。ここは盆地が終わり峠道に差し掛かる駅なので列車もそれなりに空いてきたことと思う。ここから線路は急勾配区間となり貝田、越河、白石と進んで行く。福島の街並みを眼下に望むこの区間は好きな車窓でいつも見入ってしまう。白石まで来ると仙台に向かって次第に混み始め仙台では20分ほどの小休止。そのまま、下車せずに乗り通し松島駅で下車。親戚の家を訪ねてこの日の行程を終了した。
(つづく)
残念なことにこの車両もフラットが付いていたけど、ここは我慢して乗り通した。というのもあるが、すでに夕方近くのため列車も帰宅客で混み出す時間なのであった。
それでも、手元の記録では藤田から録音をスタートしている。ここは盆地が終わり峠道に差し掛かる駅なので列車もそれなりに空いてきたことと思う。ここから線路は急勾配区間となり貝田、越河、白石と進んで行く。福島の街並みを眼下に望むこの区間は好きな車窓でいつも見入ってしまう。白石まで来ると仙台に向かって次第に混み始め仙台では20分ほどの小休止。そのまま、下車せずに乗り通し松島駅で下車。親戚の家を訪ねてこの日の行程を終了した。
(つづく)
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