続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
「マリンシティあさま」乗車記-2
もう、「マリンシティ」でもないが、そのまま記事を続行します。
軽井沢から489系編成の「あさま」に乗り一路大宮に向かう。が、その車中は殆ど記憶にも画像にもなく大方爆睡して過ごしたと考えられる。大宮で乗って来た列車を見送る。
そうして、すかさずやって来たのは白山色ボンネット車の「あさま」。
たぶん、多くの人が「嫌い」といいそうなこの塗色、自分にとっては思い出深いのでそんなに悪い印象でもない、けど意欲的に撮りたい存在でもなかったため「あさま」の写真はこれだけ。しかしながら、シルエットにして撮るとか工夫次第でどうにでもなったので、もっと撮っておくべきだった。
このあとは、おそらく「北斗星」などを撮っていたと思われるが画像の記録が見当たらず行動不明。
あと、この日か別の日かが定かではないが、横浜に戻る時に乗った東海道線の電車が鶴見あたりで横浜行きの「マリンシティあさま」と並走し、そのまま横浜まで並んで走るという素晴らしい光景を目撃。しかしながら、夜暗くて画像は一切なし。
そういったわけで、今回の乗車記はこれで終わり。
ところで、当時、特に上信越道開通前は横浜から軽井沢方面への車でのアクセスはあまり良くなかったため、こういった系統の列車はある程度需要がありそうだが、実際に走ったのはこの「マリンシティあさま」と「サロンエクスプレスそよかぜ」ぐらいだったと記憶する。たぶん、列車の設定があればそれなりの需要が見込めたと思うので、横浜発の「あさま」や「そよかぜ」の設定がもっとあっても良かったのではないかと思う。
(おわり)
【文書訂正】特急「マリンシティあさま」乗車記【画像修正】
(お断り)帰宅途中の車中で当初文書を書いて、家で当時の写真を見返したら間違いがあったので(汗)、訂正・追加し、画像を差し込みます。
1997年9月のある日、廃止間近になった碓氷峠に行くために、横浜からのショートトリップに旅立った。碓氷峠を見に行くというよりかは、変わり種列車乗車が目的の様な旅のために横浜駅に向かった。横浜駅の発車は上り待避線の8番線ホームから。ホームに向かうと特製マークではなく普通の「あさま」マークを掲示した189系が居た。
残念なことに横浜と分かるように撮れていない
撮影者でごった返すホームから自由席に乗り込むと難なく空席を見つけ着席。指定券を買えば列車名を切符に残すことができたが、このときは失念していた。
出発するとすぐに横須賀線の線路に転線するという普段は通らないルートに軽く興奮しているうちに新川崎、西大井と通り慣れた横須賀線のルートを進む。見慣れた景色も普段乗ることの無い189系から見れば新鮮な感じであるが、蛇窪からは分岐して通常は通ることがないルートで大崎に向かう。今であれば湘南新宿ラインで、お馴染みのルートだがこの時は珍しさに目を奪われているうちに新宿に到着。新宿でさらに乗客を増やし、赤羽に差し掛かると眼下を先行する251系の姿が目に入った。どうやら、「ビュー草津」という臨時特急らしい。そんなこんなしているうちに大宮に到着。
ここからは、特に珍しくもない臨時の「あさま」と同じ。高崎を過ぎて横川に着くと、ここも多くの撮影者が集結している模様。こちらの列車内も同好の士と見られる人が多くあちらこちらにカメラを向けている。そして多くのEF63を眺めながら軽井沢に到着。
横川から軽井沢での車窓風景
しかし、ここも撮影者が多いので、降りずに小諸まで行き下車。
「マリンシティあさま」を軽井沢で降車したが、撮影者が多いので駅構内に留まり小一時間ほど写真を撮影後、降りずに普通列車で小諸まで行き下車。
軽井沢でのスナップ
小諸に行った理由は判然としないが蕎麦目当てか?しかし記憶に残っておらず。とにかく、昼食後に普通列車で軽井沢に戻る。
小諸でのスナップ
流石に今度はスルーせずにひとしきり撮影をした。人が多いのは苦手だが廃止直前のタイミングに選り好みしている猶予は無いのである。小一時間ほどの滞在後、帰りの列車に乗るべく上りホームに移動した。軽井沢まで来た理由はここで後続の特急に乗り換えるためでどうやら特急料金節約の魂胆だった模様?ただし、乗る予定の489系「あさま」と「さようなら碓氷峠」のマークを掲げたEF62の並び写真があるので臨時列車撮影の目的もあったかもしれない。
(つづく)
軽井沢で後続の特急に乗り換え
国鉄電車ガイドブックカレンダー
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