続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
【訂正】1998年12月 下り「アルプス」に乗って新潟交通へ行った話
【お知らせ2】
画像を再アップしました。
【お知らせ】
貼り付けた画像がすべてエラーになっていたので今夜修正します。済みません。
1998年の年末、12/26-12/27Hウイークエンドフリー切符が使えたようで友人と乗り鉄旅を画策。夜22時ごろに新宿集合となった模様。しかしながら、年末のこんな時期の当日に容易に座席が確保できるはずもなく空席があった「アルプス」のグリーン車を確保。このころは183系のグレードアップ編成(たぶん)だったので快適なグリーン車の旅だったようで、中途の記憶がまるっきりない・・・。
おそらく、呑兵衛二人組ゆえに新宿駅の売店でアルコール&おつまみ確保でミニ宴会開催、大月辺りで寝落ちしたと推定される。過去に何回かお世話になっている夜行アルプスであるが、183系になってからはこれが初めてなのにこの体たらく(汗)。
但し、鮮烈な記憶として残っているのは辰野辺りを走行中のこと窓外を間断なく青白い光が辺りを照らし出した時のこと、どうやらこの列車の屋根辺りで光っているらしい。車掌さんに聞いたら、架線に霜が凍り付きパンタグラフとの間で火花を散らしているらしい。立ち往生とか困ると思っていたら、この程度なら大丈夫とのことで無事に塩尻に到着。この時は翌日新潟交通に向かったのだが「アルプス」を降りてからどういう道筋をたどって新潟まで行ったか一切記憶に残っていなかったが、当時のアルバムを見つけて記憶がよみがえった。
そう、この後は松本で急行「ちくま」に乗り換えて長野に向かったらしい。そして、長野からは飯山線の一番列車で十日町へ行き長時間停車の間にほくほく線を見学(これは写真に残っていた)。
但し、ほくほく線は見るだけで飯山線に戻り越後川口に向かった。その先はあいまいで長岡から新幹線か在来線かどちらに乗ったかはっきりせず、次のコマは新潟交通が写っていた。
たしかこの時点では動いていなかった元小田急車。
この後は半日かけて新潟交通の乗り潰し&撮影をSて新潟に戻り、新幹線で帰京と思いきや、浦佐か越後湯沢で在来線に乗り換えて115系での上越国境越えを体験、高崎から新幹線で東京に戻るという鉄分の濃い一日を過ごした。
新潟交通訪問についてはまた別の機会に。