続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
189系によるY159記念列車
土曜日のY159記念列車、あさまカラーの189系がこちらに来ることは滅多にないことなのでもうちょっと気合が入ってもよさそうなものですが、この日は朝から用事を含めもりだくさんでばて気味。おまけに現着して望遠レンズに付け替えようとしたら、家に忘れてきたことが判明して一気にやる気なし状態・・・。
それでも、通過時刻が踊り子107号と接近しているので被りを警戒してNETで両列車の居場所をチェック、どうやら踊り子の方が2,3分先行している様なので一安心。まずは、先行の踊り子が通過して間もなく189系が姿を現しました。
振り返ったら、普通電車がやって来ていてびっくり!あと、30秒~1分ぐらいずれていたらアウトだったかも。JR東日本アプリで列車位置をチェックしていたのに、なぜかこの普電はノーチェックでした。
ところで、ここ数年のY***は引退前興行の様相を呈しているので1年先のこの編成の行く末が案じられます。
1990年東北一周の旅 三日目-1
旅行もいよいよ最終日。この日は撮影メインの予定でホテルを出発。
ここで、本題に入る前に鰺ヶ沢?でみた駅犬の写真を忘れていたので紹介。
さて、行程の方はam8:30頃の上り「はつかり」で八戸まで移動。当時は583系の定期運用もあったが、残念ながら?485系の運用。そんなわけで画像の記録も残しておらず。約1時間の乗車で到着し、今度は盛岡行きの普通列車に乗り換え。ED75+50系と思ったら流れ星仕様のEF81登場。おそらく、「北斗星」の間合い運用のはず。
続く
1990年東北一周の旅 二日目-2
五所川原に来たのは約9年ぶり、前回は五能線列車の長時間停車を利用して津軽鉄道は見ただけであったが、今回は乗れる。ただし、前回見たのはラッシュ時ゆえに客車編成だが、今回は昼下がりなので単行気動車「風鈴列車」とのことで車内にはたくさんの風鈴が下げられていて涼しげな音色を奏でていた。が・・・、その様子の記録はないく相変わらず詰めが甘い。
なーんと、残念なことにこれが津軽鉄道の記録全てである。終点まで行っているのに全く記録がないとか・・・。
とにかく列車に乗りこみ、まずは金木で途中下車。太宰治ゆかりの斜陽館まで行ったものの何となく入りそびれてそのまま隣駅の芦野公園駅まで歩いて列車に乗り終点の津軽中里まで向かった。その津軽中里では、十三湖とか小泊に向かうバスが魅力的に見えたのだが、あとの行程が立てられなくて断念。今だったら、スマトフォンでちゃっちゃと調べて行動を起こしたに違いないが、当時の自分はどちらかというと行動力のない奴だったのであっさり諦めていた。
その代り、日本海は見たくなったので、五所川原まで戻ってからは東能代に向かう列車に乗りこんで鰺ヶ沢を目指していた。列車はなんと珍しく客車列車(ノスタルジックビュートレイン)。但し、乗車30分程度では指定席を取るまでもないなと思って色を塗り替えただけの50系内で過ごした。鰺ヶ沢では停車時間があるので駅の前方にある陸橋に先回りして列車を撮影した。ただし、慌てたのか手振れしているような感じ。
その後は、海岸沿いの公園に行って海を眺めるも写真は撮らず、駅に居たワンコだけ撮影の謎の行動を経て、五能線で川部、奥羽本線で青森に出て駅近くのビジネスホテルに投宿。
青森では郷土料理でもと思って街を歩くが、またまた入りそびれて街角の中華料理店へ。ここでラーメン+チャーハンのセットを頂くが、さすが地元の人で賑わっているだけあって結構おいしく頂けた。このお店、もう一度行ってみたいけど、詳しい場所すら思い出せない・・・。
そうやって二日目の夜は更けていった。
(つづく)
1990年東北一周の旅 二日目-1
秋田行きの夜行バス乗車の為、仙台駅東口の待合室で待っていると徐々にお客が集まりはじめ、バス会社の人が登場、この方から切符を購入してバスに乗りんだ。確かバスはJRバスの担当便だったので国鉄バスから継承した塗色だったと思うのだが記憶からは忘却、写真の記録も無し。夜の仙台市内を抜け東北道に乗ったぐらいまでは覚えているが、その後は高速道路の継ぎ目での振動がやけに大きかったという記憶ぐらいしか残っておらず、振動がどうのこうの言っている割にはそれなりに眠れたようだ。ところで、時はバブルの真っただ中で、物流の動脈東北道ゆえに道路の痛みが激しかったのだろうか?そして、早朝の秋田駅に到着。いそいそと駅の改札口を通りカメラを構える。お目当ては、この寝台列車。
そう、第一候補に挙げていた「あけぼの」だ。「あけぼの」を見送ると男鹿線の列車に乗りこんだ。記憶はあいまいであるが、キハ40だったかと。本当はこの1本あとの列車がDD51+50系のはずだが、あとのスケジュールとの関係で泣く泣くDC列車での男鹿線踏破と相成った。もし、男鹿線客車列車の数年先の命運を知っていたら、行動を変えていたかもしれないが、当時はそんなことは知る由もなかった。そもそも男鹿線に乗るならば、何年か前まで走っていた夜行「おが」の末端区間の快速運転で乗っておくべきで、14系座席車や20系編成が使われた上に、割と短時間で折り返す運行だったので片道は乗車して片道は撮影ということもできたはずなのだが、まあ後の祭りである。
その気動車列車は、男鹿線内で上りの客車列車とすれ違う(こちらは男鹿に前泊しないと乗れない)ので車内からスナップだけはしておいたようだ。
再び気動車列車に乗り秋田に戻る。この日は日曜日だが、一駅ごとに客が乗りこんできてなかなかの盛況であった。秋田からは、寝台特急「日本海」で弘前を目指す。特急自由席乗り放題のフリー切符でも寝台特急の立席特急券は別に必要なので秋田駅で購入。
なぜか、「日本海」の写真は記録せず。あと目撃場所は失念したが、急行「津軽」をどこかの駅で目撃(上りの男鹿線列車乗車中か?)したので、ここに掲載しておく。
「日本海」を選んだ理由は、どちらかというと寝不足解消が目的だったようで、空いた区画を見つけて弘前までの約2時間を快適な居眠りで過ごした。弘前で降りた理由は津軽鉄道訪問のため。まずは、五所川原に行くため五能線の列車に乗りこんだ。
(つづく)