続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
【旅行記】1987年6月EEきっぷでの東北旅行-2
1987年6月、とある日曜日の朝は盛岡のホテルからスタート。場所は駅から徒歩10分ぐらい、北上川を渡ったさきだった。惜しむらくは、せっかく盛岡に泊まったのに、客車「ゆうづる」を見逃してしまったこと。翌年には客車編成は「北斗星」に転用されてしまったので数少ないチャンスをふいにしてしまった。
盛岡から上りの新幹線に乗り古川で下車、陸羽東線に乗り換えて新庄を目指す。おそらく車両は、キハ58かキハ40あたりだと思うが記録なしのため不明。途中鳴子駅に眺めの停車時間があったらしく駅舎の写真が残っていた。温泉に寄った記憶はないので、途中下車だけだと思う。
鳴子の次の画像は新庄駅駅舎だった。ここからは、50系客車の普通列車で福島を目指した。
次の画像は天童駅。ここでも停車時間が長かったようで列車の写真も残されていた。
実はこの列車、ED75が3両の50系を牽く編成でパワーを持て余しているのか電車並みの加速をする客車列車であった。奥羽本線を南下し、たぶん山形駅でも長時間停まっていたと思うが画像無し、次に出てきたのは上ノ山駅。今見ると正面にワンダーCIVICが停まっていて「おおっ!」となってしまった。
次の画像は米沢と思われる場所で機関車との記念撮影。いつしか、機関車はEF71+ED78の重連に変わっていてさらにパワフルな加速を披露していた。
さて、ここから先は4駅連続のスイッチバック区間のはずだが、さしたるトピックスがなかったのか記憶からは忘却されていた。でも、峠の力餅は購入したはず。
しかしながら、この区間の鮮烈な記憶というと、1981年夏の夜に米沢→福島で乗った旧客編成。しかも同行者は今回と同じ友人で、二人して開放的な最後尾のデッキから流れ去るレールを眺めていたのだった。そういうわけで、一番の記憶は更新されないまま福島に到着、あとは東北新幹線で帰京して今回のEE切符の旅は終了。
EEきっぷ自体はその後も名称や効力を変えたりしながらも継続し、その後も何回かお世話になったのだった。
(おわり)
【旅行記】1987年6月EEきっぷでの東北旅行-1
先日、本四連絡線開業の時の旅行記を書いていた時に、唐突にJR東日本のEEきっぷのことを思い出したので、その時の旅行の様子をつづってみようと思います。
JRが発足して間もない1987年春、JR東日本全線で新幹線を含む特急、急行の自由席に乗れる画期的な切符(EEきっぷ)を発売するとの発表があった。それを知って友人と色めきたったことは言うまでもなく、早速旅行のスケジュールを検討するのであった。
そして、6月のとある土曜日(ここら辺は記憶があいまいで5月の下旬だったかも)、上野駅に向かい東北新幹線の自由席に乗りこんだのである。しかしながら、同じようなことを考えている人は多数いて自由席は超満員、席にありつけるはずもなく盛岡までの旅がスタートした。当時はビュッフェが営業していたので朝食を食べに行くなどして気を紛らわせ足りしているうちに盛岡に到着。しかしながら、その先はさらに座席定員の少ない在来線特急「はつかり」ゆえに、またもや立席状態での旅が続く。もちろん、我々の旅なんて行き当たりばったりなので、友人と二人相談の結果八戸でレンタカーを借りて十和田湖に向かうことに決定した。
八戸のレンタカー屋もそれなりに混雑していたが、何とか手続きを済ませ、カローラⅡでドライブに出発。奥入瀬渓流を経由して十和田湖に向かった。奥入瀬渓流では川沿いを散策して川の景色を何枚買撮影、合間にレンタカーと一緒に撮影もしていて今の自分からは想像もつかないようなスリムな体形の自分の写真が出てきた(笑)。
散策をしていると夕方になったため、八戸に戻りレンタカーを返却する。この辺り、近くには南部縦貫や十和田観光という魅力的な私鉄があったが時間切れで訪問できず(十和田観光に関しては帰途のルートでニアミスはしたが)。というか、この時点では廃止の話は出ていなかったので安心しきって観光を優先したというのが実情であろう。八戸では美味しい海の幸を肴にアルコール三昧して時間を潰し、上りの急行「八甲田」に乗りこんだ。この夜は翌日の行程を考えて盛岡駅近くのビジネスホテルを八戸で予約しており、タイミング的に「八甲田」がちょうどよい時間だったための乗車である。
その「八甲田」はED75を先頭に14系座席車を従えてやって来た。乗りこんだのは前から2,3両目だった(と思う)。盛岡までの区間は山越えがあるものの列車はかなりのハイペースで走り、小気味の良いモーター音とアップテンポな走行音を聞いているとなかなかの高揚感があり飽きの来ない時間であった。あの時の走行音は、今となっても記録しておきたい思わせるほど魅力的であった。
客車急行での小気味よい旅はとても短く感じられるほどで、後ろ髪をひかれつつ深夜近くの盛岡駅で下車。これが有効期間と仕事の休暇日数に制約がある旅はそうはいかず、盛岡駅近くのビジネスホテルに投宿。
鉄分がほとんどないまま1日目の行程が終了した。
(つづく)
旅行記 一本列島化間際の四国旅行
電車の中吊りの広告を見掛けたら30年前の四国旅行のことを思い出しました。
この瀬戸大橋線開業の3日前から旅が始まりました。第一ランナーは寝台特急「瀬戸」、私は横浜駅から乗車して東京からの友達と合流。当然ながら呑み鉄三昧のはずだが乗車時の記憶は全くなくて場面は翌朝の宇野駅に。
宇野からはすぐに接続する宇高連絡船に乗り換えたがこちらも記憶に乏しく、四国上陸後の琴電の印象の方が強く残ってます。琴電では琴電志度まで乗り鉄し、旧型電車の宝庫てある?志度線のラインナップに驚かされました。その後は高徳線と鳴門線で鳴門駅まで行き路線バスに乗り換えて渦潮を見ようと試みます。本当は遊覧船に乗れば良いのですがその後の行程の都合で無理。最終的には鳴門海峡を渡るバスから眼下を眺め何とか思いを果たしました。乗ったバスは長距離路線バスなのでそのまま高松へ。高速道路は無かったので国道を坦々と走る長距離路線でした。高松からはホバークラフトに乗船。海上を浮上して走るのでてっきりフワフワの乗り心地かと思ったら思いの外ガツガツ揺られることに驚いているうちに宇野に到着。あとは電車を乗り継いで尾道に投宿。宿は海を見下ろす高台のホテルでした。まだまだ、関西ブルトレ健在の頃だったので眼下を往くブルートレインを眺めながら2日目は終了。
3日目は尾道観光からスタート、ホテルの眼下には行き交う船が見えて気持ちの良い朝でした。尾道では大林宣彦監督のロケ地巡りをしてました。この日は宇高連絡船の最終日なので午後からは移動開始。同じルートを辿るのは面白くないので福山から多度津へ向かうフェリーに乗船。高松に戻り最終日の連絡船に乗船して宇野へ行ったものの戻りは混雑に辟易して宇高国道フェリーに乗船して高松駅前の宿に投宿。宿は何とかして見つけた駅前旅館でタイル貼りのレトロなお風呂が印象的でしたが、赤錆色のお湯に文句を垂れている友達の声が聞こえて来ました。連絡船最終便の出迎えは旅行の疲れが出てしまいパスしてました。一方、友達は頑張って行ってました。
最終日は瀬戸大橋開業日なのに記憶が断片的。キハ181「しおかぜ」の高速運転を堪能したり宇多津辺りをうろうろしたあとは児島から下津井電鉄に行ってそのあとは鷲羽山のふもとあたりから一向に車か来ない橋を眺めてました。記念式典が長引いていたのかは定かではありません。結局時間切れになって岡山まで行って新幹線で帰途に就きました。新幹線車中はまたもや酒盛りだったはずですが記憶なし。鉄好きの友達と二人なので「ひかり」の食堂車に行ったと思うのですが。
この旅行に関しては写真も行方不明でほとんどの事が忘却の彼方。記録の重要さが身にしみます。しかも30年が経っていたとは驚くばかりです。改めて今の四国を見たい気がします。
この瀬戸大橋線開業の3日前から旅が始まりました。第一ランナーは寝台特急「瀬戸」、私は横浜駅から乗車して東京からの友達と合流。当然ながら呑み鉄三昧のはずだが乗車時の記憶は全くなくて場面は翌朝の宇野駅に。
宇野からはすぐに接続する宇高連絡船に乗り換えたがこちらも記憶に乏しく、四国上陸後の琴電の印象の方が強く残ってます。琴電では琴電志度まで乗り鉄し、旧型電車の宝庫てある?志度線のラインナップに驚かされました。その後は高徳線と鳴門線で鳴門駅まで行き路線バスに乗り換えて渦潮を見ようと試みます。本当は遊覧船に乗れば良いのですがその後の行程の都合で無理。最終的には鳴門海峡を渡るバスから眼下を眺め何とか思いを果たしました。乗ったバスは長距離路線バスなのでそのまま高松へ。高速道路は無かったので国道を坦々と走る長距離路線でした。高松からはホバークラフトに乗船。海上を浮上して走るのでてっきりフワフワの乗り心地かと思ったら思いの外ガツガツ揺られることに驚いているうちに宇野に到着。あとは電車を乗り継いで尾道に投宿。宿は海を見下ろす高台のホテルでした。まだまだ、関西ブルトレ健在の頃だったので眼下を往くブルートレインを眺めながら2日目は終了。
3日目は尾道観光からスタート、ホテルの眼下には行き交う船が見えて気持ちの良い朝でした。尾道では大林宣彦監督のロケ地巡りをしてました。この日は宇高連絡船の最終日なので午後からは移動開始。同じルートを辿るのは面白くないので福山から多度津へ向かうフェリーに乗船。高松に戻り最終日の連絡船に乗船して宇野へ行ったものの戻りは混雑に辟易して宇高国道フェリーに乗船して高松駅前の宿に投宿。宿は何とかして見つけた駅前旅館でタイル貼りのレトロなお風呂が印象的でしたが、赤錆色のお湯に文句を垂れている友達の声が聞こえて来ました。連絡船最終便の出迎えは旅行の疲れが出てしまいパスしてました。一方、友達は頑張って行ってました。
最終日は瀬戸大橋開業日なのに記憶が断片的。キハ181「しおかぜ」の高速運転を堪能したり宇多津辺りをうろうろしたあとは児島から下津井電鉄に行ってそのあとは鷲羽山のふもとあたりから一向に車か来ない橋を眺めてました。記念式典が長引いていたのかは定かではありません。結局時間切れになって岡山まで行って新幹線で帰途に就きました。新幹線車中はまたもや酒盛りだったはずですが記憶なし。鉄好きの友達と二人なので「ひかり」の食堂車に行ったと思うのですが。
この旅行に関しては写真も行方不明でほとんどの事が忘却の彼方。記録の重要さが身にしみます。しかも30年が経っていたとは驚くばかりです。改めて今の四国を見たい気がします。
3/16 快速「富士山」新宿到着時の様子
昨日は午後に渋谷に用事があり、時間的に到着に間に合うことが分かったので新宿へと移動しました。帰りは新宿19:00発の小田急ロマンスカー「ホームウエイ」号を予約済み。
新宿に着いたのは、「富士山」号到着の10分ほど前、10番線到着なので対向ホーム11番線に回りました。で、ホームの案内盤を見るとラッシュ時はホームを交互使用していることが判明。下り快速の発車時刻と「富士山」到着は2分差なのでそのままヤマを張って待機、ラッシュ時のホームですが意外にも人の密度が薄い箇所があったので助かりました。18:25の快速が出ていくと遠方に2つの前照灯が見え189系が入線してきました。
あとで気づきましたが、すでに「回送」表示ですね。
約10分後には折り返しで回送されるので、ホームの中野側に向かうと撮影者密集の為ロープで囲われてました。近づくとOL風の女性がロープ内から出てきました。見るとロープ内でも人口密度が低い箇所があったのでそちらに入って撮影。とは言っても最前列には行けそうもないので、バリアングル液晶を活用して頭上に掲げて撮ったのがこの1枚。
早々にこの場所は退散して、編成中間の車両などを撮っていると目の前にまたE233系の中央快速が到着、その向こう側からタイフォンが聞こえて189系の回送が去っていきました。
ロマンスカーまでは少し時間があるので、E351系の記念弁当を探しているとやはり売り切れ、19:00~は鉄道グッズ販売があるらしいですが、予約した列車に間に合わないので退散。慌ただしい見送りでした。
東武特急リバティに初乗車
昨日は東武日光線を使って埼玉県に行ってました。帰途に乗っていた半蔵門線直通急行が後続の特急に抜かれると知り、春日部で下車しました。時間の短縮というよりかは興味本意での乗車をしようとの魂胆です。
ここ春日部駅は浅草方面ホームが改札口と直結していて、かつてはよく見られた幹線主要駅の構造でした。
やって来たのは「リバティけごん+リバティ会津」、浅草まで午後のひとときを過ごしました。
春日部
乗った席は中間運転台のすぐそば、まさに最前列でトイレに行くときには運転台横の長い通路が印象的でした。
乗車時間はあっという間の感じで、車内からスカイツリーが見えるともうすぐ浅草です。
浅草ではこの駅ならではの乗降ステップをみることができました。
快適な乗り心地であっという間の乗車でした。しかし、せっかく乗るのであれば日光や会津まで行ってみたいですね。
ここ春日部駅は浅草方面ホームが改札口と直結していて、かつてはよく見られた幹線主要駅の構造でした。
やって来たのは「リバティけごん+リバティ会津」、浅草まで午後のひとときを過ごしました。
春日部
乗った席は中間運転台のすぐそば、まさに最前列でトイレに行くときには運転台横の長い通路が印象的でした。
乗車時間はあっという間の感じで、車内からスカイツリーが見えるともうすぐ浅草です。
浅草ではこの駅ならではの乗降ステップをみることができました。
快適な乗り心地であっという間の乗車でした。しかし、せっかく乗るのであれば日光や会津まで行ってみたいですね。