続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
【追記と訂正】豪雨での立ち往生(1981年夏 奥羽本線鷹ノ巣駅)
1981年の夏は、東北新幹線開業を翌年に控え、東北特急・急行列車のお別れ撮影&乗車、東北地区乗り潰し目的で周遊券の旅をしていました。
この日は前夜上野発の「津軽1号」を大曲で降りて、角館線、矢島線、阿仁合線の完乗を果たしていた。その行路は、宮脇俊三氏の「時刻表2万キロ」のプランをほぼほぼトレースしていて、大曲~角館~松葉~角館~大曲~秋田~羽後本荘~羽後矢島~羽後本荘~鷹ノ巣~比立内~鷹ノ巣と乗って、あとは奥羽本線の急行「しらゆき」で青森に向かう予定となっていた。時刻は19:30頃、少しすると雨が降り出して瞬く間に大雨となった。その間に上野に向かう「あけぼの4号」が発着し、下りホームには50系客車の確か大舘行きが到着。あまりの雨の凄さに50系の雨樋から雨水が溢れ車体を伝って流れ出すありさまだった。
そして、この列車を追い越す特急「いなほ3号」が入線。それと時を同じくして運転見合わせとなり、結局1時間半近くにわたって立ち往生する羽目となった。当時の周遊券は特急自由席には追加料金が必要だったので高校生だった自分たちは乗ることもできずホームに立ち尽くしていた・・・。
そういえば、「時刻表2万キロ」でもダイヤが乱れて「いなほ3号」は遅延したとの記述があったけど、まさかダイヤ乱れまでトレースしてしまうとは・・・。私は幸か不幸か旅先でダイヤ乱れにあったことがほとんど無いのですが、今となっては懐かしい思い出です。
ただこの時は、鷹巣のお弁当屋さんは閉店後で結局青森到着まで何も食べられず「しらゆき」車内では空腹のあまり友人ともどもぐったりとしてました。しかし、いつ動き出すか分からない状態では鷹ノ巣駅の外に出て駅前食堂に行く知恵すらありませんでした。目の前に「いなほ3号」の食堂車が居て結果的には抑止中に食事も可能だったのですが、こちらもいつ運転再開になるか不明の状況で特急列車の食堂車に行く勇気はありませんでした。
【追記と訂正】大舘行きのダイヤですが、正しくは鷹ノ巣で貨物列車待避後に発車「いなほ3号」より大舘に先着でした。ダイヤの乱れで発着順序に変更を生じたようです。
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東海道旅客線と貨物線との渡り線
先日乗った快速アクティーは、混雑必至の土曜日午後なのに何と10両編成。当然ながら人いきれで息苦しいので比較的空いている先頭車で被り付きをしていました。
ついでなので幾つか渡り線を撮ってきました。
まずは茅ヶ崎駅平塚寄りの渡り線。写真前方が東京方面で右二線が旅客線、左側二線が貨物線です。ここはライナーの転線によく使われます。
茅ヶ崎駅辻堂寄り。こちらは上りのサンライズが貨物~旅客と転線するそうです(見たことはない)。
今度は大船駅の藤沢寄り。
少し進むと右への分岐は横須賀線ホームに繋がる線路。臨時運転とかで使っていた記憶があります。
ここは昭和55年10月改正までは東海道下り本線だったはず。横須賀線との分離運転で線路の配線も大きく変わったと思われます。
ついでなので幾つか渡り線を撮ってきました。
まずは茅ヶ崎駅平塚寄りの渡り線。写真前方が東京方面で右二線が旅客線、左側二線が貨物線です。ここはライナーの転線によく使われます。
茅ヶ崎駅辻堂寄り。こちらは上りのサンライズが貨物~旅客と転線するそうです(見たことはない)。
今度は大船駅の藤沢寄り。
少し進むと右への分岐は横須賀線ホームに繋がる線路。臨時運転とかで使っていた記憶があります。
ここは昭和55年10月改正までは東海道下り本線だったはず。横須賀線との分離運転で線路の配線も大きく変わったと思われます。