続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
【動画】酒匂川を渡るLSE
写真を撮る傍ら、コンデジもセットして動画も撮りました。ただ、正面がちに撮ったためにジョイント音が重なって連接者の特徴があまり出てないような感じです。
開成-新松田
EF81北斗星間合い運用 東北本線普通列車
仙台支社臨客運転に際して、EF81+12系の写真を探しましたが見つけられませんでした。
考えてみると定期列車でEF81+12系がみられたのは、
急行「きたぐに」 富山~新潟(10系寝台車付き)、新潟~秋田
急行「十和田5号・2号」→のちに1往復化で「十和田」 上野~水戸?平?
位しか知りません。
あとはEF81 300番台-12系+20系の急行「さんべ5号・6号」あたりでしょうか。
臨時列車で乗ったエキスポライナー(大宮~万博中央)がこの組み合わせでしたが、全体的な写真は撮っておりませんでした。
その様なわけで、東北本線(御堂-奥中山)で1990年7月頃に撮ったEF81+50系の普通列車を掲載します。
仙台支社懐かしの急行列車考察
本日は大勢は方に訪問頂いたようで驚きました。また、ご訪問のお礼申し上げます。弊方はこのニュースを鉄道ホビダスで知りました。
発表では仙台発6:58上野着が11:52とあるので、札幌発のカシオペア紀行のダイヤを使うようです。
前記事で八甲田の時刻に近いと書きましたが、そのダイヤは青森0:02発で上野着が11時過ぎなのでちょっと違うようです。ところで、この仙台発の時刻は往年のひばり4号と同じですね。但し、上野着では40分ほど差をつけられてしまいますが、客車列車でこの運転時間はなかなか健闘しているのでは無いでしょうか?参考までに455系急行まつしま号は約5時間で走っていました。停車駅の数が違いますが、おそらく良い走りを見せてくれることでしょう。
機関車は、ED75とEF65の方がそれらしいですが、おそらく黒磯での機関車付け替えが今となっては難しいのだろうと考えます。
とにかく、乗るにしても撮るにしても楽しみな列車になりそうです。
発表では仙台発6:58上野着が11:52とあるので、札幌発のカシオペア紀行のダイヤを使うようです。
前記事で八甲田の時刻に近いと書きましたが、そのダイヤは青森0:02発で上野着が11時過ぎなのでちょっと違うようです。ところで、この仙台発の時刻は往年のひばり4号と同じですね。但し、上野着では40分ほど差をつけられてしまいますが、客車列車でこの運転時間はなかなか健闘しているのでは無いでしょうか?参考までに455系急行まつしま号は約5時間で走っていました。停車駅の数が違いますが、おそらく良い走りを見せてくれることでしょう。
機関車は、ED75とEF65の方がそれらしいですが、おそらく黒磯での機関車付け替えが今となっては難しいのだろうと考えます。
とにかく、乗るにしても撮るにしても楽しみな列車になりそうです。
12/3は仙台発で懐かしの急行列車運転
発表によるとEF81+12系とのことです。
時間帯からすると、八甲田号の仙台~上野の時刻に近い感じでしょうか。
詳細はJR東日本の仙台支社のページに掲載されています。
時間帯からすると、八甲田号の仙台~上野の時刻に近い感じでしょうか。
詳細はJR東日本の仙台支社のページに掲載されています。
【訂正】特急「みちのく」忘れられない出来事
【訂正】文中に通信筒の記載が抜けていたので追記しました。
前にどこかで書いたかもしれませんが、この列車に関しては印象深い出来事がありました。時は1974年の夏休み、妹と二人で母方の実家で過ごし、従兄が東京まで送ってくれることになりました(両親は都合で来れなかったらしい)。最寄りの東北本線松島駅で従兄が切符を買っている間、ちょうど上り「みちのく」の通過時刻だったので改札口からホームの方を見ておりました。
カーブした松島駅ホームに583系が姿を現しましたが、心なしか速度を落としているように見えました。
何気なく見ていると、車掌室の窓が開いていて専務車掌さんが顔を出しておりました。通過を見送る駅員さんの近くに差し掛かると、車掌さんは「車内に急病人発生、仙台駅に救急車をお願いします。」というようなことを言って何かを放ってよこしました。(のちに知ったのですが、【通信筒】という連絡手段だそうで手紙などを入れて駅員に投げ渡すそうです。)
当時は子供ながらに、ドラマか何かで見たシーンを思い浮かべました。おそらく、車中では「お客様にお医者様か看護師さんは居ませんか?」と呼び掛けていた状況でしょう。
その後私たちが仙台駅に到着したのはこの列車の20~30分後なのでどうなったか知る由もありませんが、願わくば無事であってほしいと願ったことでした。
今であれば、列車無線や携帯電話がありこの様な苦労をすることはないでしょうけど、当時は子供ながらに鉄道員の頼もしさを目の当たりにしたのでした。
小田急LSE置き換えへ
すでに多くの方が紹介されておりますが、昨日小田急電鉄よりLSE7000形の後継車70000形が2018年にデビューすることと、EXE30000形がリニューアルすることが発表されました。
そうなると、自動的にLSEは引退が運命づけられたわけで、「とうとう来たか!」というのが正直な感想です。
後継の70000形はバーミリオンの塗色と展望席は引き継ぐようなので、シルエット的には今のLSEに似たようなイメージになるのでしょうか。その一方で、連接車体はやめてボギー車になるとのことなので、車体長12.5mと25mレールがコラボした独特な走行(ジョイント)音は引き継がれないことになります。
※VSE50000形は車体長が異なるため、少し違ったジョイント音になります。LSEの場合は2車体で25mになるので、 とある車輪がジョイントを踏むと2つ先の台車の車輪もジョイントを踏むことになり独特のジョイント音となります。
ロングレール化が進んだ小田急線ですが探せば定尺レール区間も残っているので動画撮り鉄しなくては。
一方30000形EXEはリニューアルと同時に車体色が変更になるそうで、このブロンズカラーも近い将来見納めになりそうです。
【回顧録】20系急行「銀河」で過ごした夜
これから暫くは消えつつある夜行列車のことを乗車体験を交えて綴ってみようと思います。
初回は急行「銀河」を取り上げます。
銀河は数え間違いでなければ、4回+臨時1回と結構多く乗っていましたが、一番印象深いのは1979年の20系客車の時でした。当時高校一年生だった私にとっては初めて一人で乗る夜行列車、しかも20系客車ということで盛り上らない訳がありません。(本当は大垣夜行を考えてましたが旅慣れない我が子を案じた親から反対されたのでした)
当時は時の運輸大臣が「夜行列車廃止」を提案して間もない頃、当然賛成なんかできる意見とは思えないので夜行列車とはどんなものかも見てやろうと志だけは高く持って当日を迎えます。
いよいよ乗車日を迎え、入線時刻の少し前に東京駅に到着し、この日の銀河の編成を出迎えます。但し、当時のカメラ・フィルムの性能やブルトレブームの影響で機関車付近が立入禁止だった関係で、写真はあまり撮っていませんでした。
テールマークは「急行」表示
この乗車口は憧れでした。
そうこうしているうちに出発時刻、後続の大垣行きを待つ人たちを横目に22:45に出発。旅立ちの雰囲気を味わっていると品川到着。後続の「銀河53号」と思われる12系が停まっていました。
大垣行きを待つ人々
車掌さんに切符のチェックを受けた後は後方に大移動開始。目的はナハネフ22の後部展望室です。
品川駅の12系
車掌さんに切符のチェックを受けた後は後方に大移動開始。目的はナハネフ22の後部展望室です。
ここも憧れの場所でした。
ただ走り去る線路を眺めるだけの施設ですが、開けられる窓や優雅にカーブした後部のガラスなど当時の高校生には夢のような空間でしたので、30分ほど滞在して夜の景色を眺めていました。非日常的なスケジュールの中での出来事にワクワクして当然のことながら眠るどころではありません。次々とすれ違う上り貨物列車などを見たりしながら、結局静岡か浜松辺りでようやく就寝しました。
翌朝は名古屋で早々に起きて、まずは運転停車中に追い越す貨物列車を確認、その後はすれ違う列車を眺めていました。何せ在来線で熱海以西に行くのは初めてなので全てが珍しいのでした。特に新垂井の勾配緩和線は見逃したくなかったのでまじまじと見ておりました。
大船を発車
ただ走り去る線路を眺めるだけの施設ですが、開けられる窓や優雅にカーブした後部のガラスなど当時の高校生には夢のような空間でしたので、30分ほど滞在して夜の景色を眺めていました。非日常的なスケジュールの中での出来事にワクワクして当然のことながら眠るどころではありません。次々とすれ違う上り貨物列車などを見たりしながら、結局静岡か浜松辺りでようやく就寝しました。
翌朝は名古屋で早々に起きて、まずは運転停車中に追い越す貨物列車を確認、その後はすれ違う列車を眺めていました。何せ在来線で熱海以西に行くのは初めてなので全てが珍しいのでした。特に新垂井の勾配緩和線は見逃したくなかったのでまじまじと見ておりました。
新垂井駅を通過
早朝の通路の様子
瀬田川から初めて琵琶湖を見た。
そして京都に到着
そうこうしているうちに、下車予定の京都が近づいてきたので余韻に浸りながら下車。結局のところ、夜行列車全廃の答えは得られず(笑)。高校のレポート(夏休みの課題で自由テーマだった)には、利用率が高く移動に重宝している夜行列車は廃止すべきではないと書いて提出しておきました。
京都で降りた後は奈良線で東福寺に出て京阪に乗り換え、京阪三条駅を目指しました。目的は京津線路面区間の乗車。この1年前に修学旅行の宿舎がまさにこの京津線の目の前。但し、修学旅行ではこれに乗るための自由時間はなかったのでリベンジしに来たのでした。
でも当時は乗り潰しに目覚めていなかったので、終点までは行かずに乗り換えに便利な京阪石山で下車してしまったのでした。
京都で降りた後は奈良線で東福寺に出て京阪に乗り換え、京阪三条駅を目指しました。目的は京津線路面区間の乗車。この1年前に修学旅行の宿舎がまさにこの京津線の目の前。但し、修学旅行ではこれに乗るための自由時間はなかったのでリベンジしに来たのでした。
でも当時は乗り潰しに目覚めていなかったので、終点までは行かずに乗り換えに便利な京阪石山で下車してしまったのでした。
京阪石山にて
これにて20系時代の「銀河」乗車記はおしまい。次に乗ったのは高2の春休みの上り「銀河52号」、あとは社会人になってからですでに24系25型に置き換わった後のことでした。
以上、1979年7月 東海道本線 東京-京都,京阪電鉄 京阪石山
以上、キャノネットGL-Ⅲ QL17で撮影
※一部過去に紹介した写真が重複しています。