続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
最後?の関東遠征
多くの方が記事に書かれていますが、仙セン485系を使用したY157記念列車が東海道本線の根府川までやってきました。となると、海バックでと行きたいところですが、多くの人出が予想されたのと曇り空だったので予定変更。しかしながら、時間を読み間違え往路の列車は信号待ちの最中に走っていくのが垣間見え・・・orz。
気を取り直して、某レジャー施設駐車場に向かいます。撮影のついでにカラオケか?カラオケのついでに撮影か?どっちが主体だか分からないけど、着いてしばらくすると遠方から見慣れた赤とクリーム色が近づいてきました。
この見慣れた特急色の485系が近々見納めとは。東北特急に慣れ親しんだ身としては寂しい気がします。
あとになって気づきましたが、このツアーの記念品に「kitamura」のトートーバッグがあって、ちょっといいなと思いました。さーて、歌いに行くか!って、カラオケ行って戻ってくると今度は都営地下鉄大江戸線の甲種輸送列車の時間が近いという絶妙なタイミングなのでした。
1982年11月早朝の会津線湯野上駅
ここのところ、「仙セン485系引退惜別特集」を自主的に実施していて、ずっと古い485系の写真を載せてました。そのため、古い写真をあさっていたらこんな画像を見つけたので、485系をちょっと一休みしてこちらを紹介。
ここへは、前夜の上野発急行「ばんだい11号」で会津若松まで来て会津線の普通列車に乗り継いで降り立ちました。目的はこの駅ですれ違う急行「いなわしろ(会津田島~仙台)」、キハ52単行列車に乗るため。
あと10日ほどで消えてしまう単行急行に乗ってみたかったのです。会津若松では、日中線に向かう旧客編成もいて後ろ髪をひかれたが、単行急行への物珍しさが勝ちました。
写真に写っているのは、会津若松から乗ってきた普通列車で手前からキハユニ26(たぶん)、キハ55、キハ48だと思います(メモを取ってないので詳細不明)。
そういえば、この時以来ここへは行っておりません。藁葺き駅舎になり、猫駅長もいるそうなので行ってみたいと思う今日この頃です。
帰省ラッシュ並み
東海道線普通列車が大船でトラブル発生。後続の湘南ライナーを先行させたために乗客が詰め掛け通路まで超満員。帰省ラッシュの特急列車みたいになってます。かつて、ラッシュ時に185や153の普通列車がありましたが、当時の混雑はこんな状況だったのでしょうか。
185系が好きな私でも乗りたくない状況です。早く帰りたいから乗ってますが、同じく185系を使う貨物線経由のホームライナー小田原に抜かされてしまいました。
185系が好きな私でも乗りたくない状況です。早く帰りたいから乗ってますが、同じく185系を使う貨物線経由のホームライナー小田原に抜かされてしまいました。
上野駅で見た485系特急「あいづ」
最後まで上野駅に顔を出していたのに縁遠い列車でした。一度会津への家族旅行で検討しましたが、当時は土曜日は半ドンのため、上野発13時台(当時)はちょっと不可能でした。
結局乗れたのは、1996年の「ビバあいづ」とか2010年の快速あいづライナー(但し583系代走)だけ。しかし、磐越西線に行くと格好の被写体なので撮影だけは結構しておりました。
以前に、同じ日同じ場所で撮影した画像とは1コマ違いです。後方の郵便車のほうが気になってしまいました。
「あいづ」というと磐越西線の有効長の都合で当時は9両編成で、仙台運転所の担当でした。しかしながら、混雑する「ひばり」に9両編成を入れることを回避するためか、常磐線の「ひたち」と運用を組みあわせて常磐製経由で所属区との行き来をしていました。年代を遡ると「ひばり」に9両編成を使用して入出区していた時期もあったようですが、需要の増加でこのようになったみたいです。
自分とは縁が薄かった485系特急「やまばと」
上野~山形間に1日3往復の設定でした。しかし、ウチは両親が宮城出身だったために、帰省の際にも乗る機会はまずなく、見るだけの列車でした。昭和53年10月改正以前は、盛アオや仙センの485系が使われていたので200番台やボンネットも見た覚えはありますが、記録には残せておりませんでした。昭和53年10月改正で秋アキの担当になり485系1000番台に変更となりましたが、個人的には当時一番好きな車両だったので、来れば必ず撮っておりました。485系の魅力1つに初期型から最新型まで混結できて外観がバラエティに富むことですが、その一方で1000番台で統一された編成にも魅力を感じておりました。