続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
古い鉄道雑誌
↓でナハネフ22からの風景は雑誌の影響と書きました。
その雑誌を本棚から発掘して読んでます。懐かし~。
RJ誌の1979年8月号でした。
中を見ると、当時の運輸大臣が夜行列車全廃を提言していた時期なので、夜行列車の特集記事を組んだようです。
35年後に現実味を帯びてくるとはねえ。
二宮吾妻山公園 菜の花と海と東海道線
たまには違ったところで踊り子を撮ろうと降り立ったのは二宮駅。国府津駅との間の歩道橋で踊り子110号を見送ってふと横を見ると吾妻山公園登り口とありました。確か、ここは菜の花がきれいなところだったはず。
途中で吾妻神社を通ったので挨拶をしてから少し上ると山頂に到着。ふもとから10数分でした。
右上にうっすらと見えているのは伊豆半島の先端。素晴らしいロケーションです。
ここはすぐ麓を東海道線が通っています。そうなると、列車と組み合わせてみたいと思うのがテツの性でしょうか。
20系銀河ナハネフ22からの景色
1979/7初めての20系乗車。編成の最後尾はナハネフ22だったので、ここに行って流れ去る夜景を楽しんでいたのでした。当時の編成を調べると、電源車+A寝台1+B寝台10の12両編成。これを宮原機関区のEF58が牽いてました。とはいうものの、当時の東京駅の機関車付近は立ち入り禁止だったのでネガに記録はありませんでした。
おそらく大船駅停車中です。ナハネフ22には開けられる窓があったのでそこから撮ったようです。
ヘッドマークが格好良かったつばさ
絵入りマークデビューは中3の秋、非鉄の同級生たちにも受けが良かったマークです。赤地にでっかいウイング、ホンダのバイクのエンブレムに似ていたように思いましたが、あちらの翼は丸みを帯びてましたっけ?
1982.6. 東大宮ー蓮田
1982.6. 東大宮ー蓮田
<追記>
つばさ号は485系1000番台に置き換えられて間もないころに乗車する機会がありました。
新製したてということもあって、ピカピカの車内、バッタンコしないストッパー機構付きの簡易リクライニングシート、揺れの少ない快適な走行と、くたびれた車両と出会うことが多いひばりとは違っていたので(親が宮城出身なのでひばりの乗車機会は多かったです)、この車両が大好きになってしまいました。そのころの雑誌に紹介記事が出ていて、485系のの弱点を強化した進化型という内容だった,か、で、機械オタクな鉄道少年の心を一気に奪ってしまったのでした。今では、新旧の車両が一緒に編成を組めるのが、485.489系の魅力と思ってますが、当時は新しい車両だけで均整の取れた編成を組んでいた485系1000番台がまぶしく見えたのでした。