銀河20系で運行の頃

初めて20系に乗ったのは急行銀河の東京ー京都間でした。

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この当時は東京駅の機関車付近が立入禁止で撮影しておりません。

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ナハネフ22の最後尾から

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早朝の通路で

1984.7.のことでした。

高校の夏休みの宿題で社会(地理)でレポート出せと言うのがありました。但し、旅行記はダメとのことで、当時取り沙汰されていた夜行列車全廃論と銀河の乗車記を絡めて書いた覚えがあります。勿論、反対意見書きまくりで、たぶん教諭が鉄道旅行好きなお陰で良い評価を頂きました。
35年経った今、この夜行列車全廃論が現実味を帯びてきたことに驚きを隠せません。今自分が高校生ならばどのような結論を下すのでしょう。
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重連でやって来た急行越前

1980年?の川口駅、越前がEF62の重連です。普段は単機で牽引と思ったのでこれは予期せぬサプライズでした。

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後追いとりましたがこっちはピント大甘

続・もったいない話

瀬野八を訪問して、かの有名?なトンネルの上方から撮影をしてました。この場所は、上り列車の後押し機関車と下り列車向けの場所です。ダイヤを見ると間もなく、荷物列車が通過するようです。
 
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あれ~?青くないぞ
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走り去る列車ですが、固定焦点レンズなので列車部分のみトリミングしてみました。
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後押しの補機は青い方でした。
 
この当時茶色のEF58は2両だけ。状況的に考えれば、EF58 60の方だと思われます。
結局、こういう形でしか記録に残せていないのでした。
 
Canonet QL-17 G-Ⅲ 1979/7 八本松-瀬野

もったいない話

初めて宇部線小野田線を訪れた時のこと、なぜかこのクモハ42はこんな写真しか残せておりません。
 
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1979/7 雀田?
 
後日、再訪した時には全体を写してはいるのですが、そっちのネガは探せてません。

EF15?と EF65PF 重連

後ろは回送のようですが。

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クリーム色のホキ懐かしい。
1980年?頃、川口

西日暮里にて上越型EF58

機番は131号機、編成と時間帯からすると急行鳥海のようです。

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今や模型で再現するとしびれてしまう編成ですが、当時はちょうど来たから撮ったという感じですかね~。
1980年?頃

名松線家城での交換風景

この時は、ありきたりの光景と思ってました。

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1982.3.

人気者の機関車が普通だった頃 EF58 89

昨夜アップしたゆうづる回送と同じネガにありました。川口から西日暮里に行き、尾久への推回を撮ってたようです。
以前にスキャナで読んだ画像を何気なく拡大して気が付きました。要は30年位ほったらかしだった訳です。

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この当時は遮るものなかったらしいですねー。1980年?頃、西日暮里。
89号機は宇都宮所属で、お盆時期ではない東北筋の寝台+旧客の座席車となるとおそらく14系化前のおが4号と推定しました。

ところで、この89号機が茶色くなった時の遭遇は、昼頃に新宿を通る荷物列車を山手線車中から見たのでした。その時は雑誌記事に出る前だったので大層驚きました。

あけぼので青森へ!-4

昨年12/22-23の乗車記の続編です。済みません、ずっと更新サボってました。
 
水上を出たあけぼのはほどなく新清水トンネルに入ります。勾配緩和を目的として作られたこのトンネルのおかげで列車はスムーズに進んで行きます。トンネル駅の土合を過ぎてトンネルを抜けると土樽。かつては秘境駅の様な様相を呈していたこの駅もすぐ脇を関越自動車道が通るようになって秘境という感じが薄れたように思えます。いつしか勾配は下り坂に変わり関越道とともに越後湯沢を目指します。そして越後中里通過。この時間帯では無理ですが、もしスキー場の上部に居たらあけぼの号が駅を通過して岩原の方に向かう様子が俯瞰できることでしょう。新幹線との連絡駅である越後湯沢も深夜なので通過、新潟川の峠越えの基地であった石打も通過して行きます。
その後も六日町、浦佐、小出、越後川口と拠点駅通過すると、かつて急行よねやまで上越線を辿ったことを思い出しました。そして、いつしか列車は長岡に到着しました。ここでは機関車が交換となりますが、自分たちの寝台区画はホームの事務室のまん前で停車。これでは何も見えないので心置きなく眠りに就くことができます。
まさか、こんな深夜に他の車両に行くわけにも行かないので・・・。ベットに入ると切り離されたEF64が機関区に帰っていく音が聞こえてきました。
 
ふと目が覚めると、どこかの駅を出発したばかりの様な気配でした。時間的には鶴岡付近のようです。10分ぐらい走り余目に停車。回りの人は皆寝ているようで寝息ぐらいしか聞こえてきません。ドアが閉まると少し間があって前方から短い汽笛が聞こえ発車。このあたりの駅では無線連絡で出発合図をしているようです。次の酒田では貨物列車が停まってました。しかしまだ真っ暗なので日本海も鳥海山も見えません。象潟では改札口の近くに停まり、駅は今日一日の活動が始まっている様子がわかりました。しかし、この車両はまだまだ寝静まっている様子です。
 
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象潟に到着。
 
まもなく6:00、列車は羽後本荘に到着しました。ここからヒルネ扱いの車両があるので、十数名が下車。ホームでは放送をしているのが聞こえます。しかし、列車内の放送は秋田到着20分前とのことなので、放送のないまま停車、発車を繰り返しています。そして、6:20ごろにおなじみのハイケンスのセレナーデが流れおはよう放送がはじまりました。が、自分自身は逆に眠くなってしまいここで眠りに落ちてしまい、子供に起こされた時には東能代手前でした。 (続く)
 
 

2000年頃 京王線北野駅の風景

ダイヤ上だと同時発車だと思いましたが、何らかの理由で京王八王子行きが遅発でした。
 
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ここの同時発車は動画向けと思ってます。
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4連の高尾山口発特急
レンズが汚れていることに後で気が付きました。
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急行高尾山口行きが出発して行きます。
 
この当時仕事場で殆ど使わなくなって放置されていたDVカメラがありましたが、バッテリーは放電しきってくたくたな状態でいざという時に使えなさそうになっていました(満充電なのに5分で終了とか)。こういう機械はある程度動かさないとダメになるので、自分用のテープを買ってきてオフの時に手当たりしだい撮影していたら段々と元気を取り戻してくれました。ここ北野でも撮っていたと思うので見つけたらアップします。
ところで、せっかく復活させたDVカムは結局活躍の場が余りないままに次世代のDVD機に主役の座を奪われてしまいました。