上州・信州国鉄・私鉄巡り1986 その4完

長々と引っ張ったこのシリーズも漸く終わりにできます。
茅野で見つけたビジネスホテルは確か一泊4千円代の安さで社会人一年生にはありがたかったです。朝は早速岡谷-辰野のどこかで119系を撮影。

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前回の島々駅もですが、端に写っている初代シビックがこの旅行のお供でした。
更には、長坂-小淵沢に足を進めて中央線を撮影。

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上はEF64の牽く臨時アルプス、下は定期列車のアルプスです。八ヶ岳は雲の中でした。

そして、メインディッシュを撮るべく小海線に向かいました。

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当時の一般的な小海線普通列車。クーラーを載せてますが駆動電源がないため非稼働で窓全開です。でも、小海線なら冷房不要。非冷房車を運転してきた我々にはよーく分かります。(笑)

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キハ52?にラッピングを施したときめき号です。この二枚は甲斐小泉か甲斐大泉付近で撮影。

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DD16に「ヨ」を何両か連ねた臨時列車(名称は失念)がやって来ました。乗っても楽しそうな列車です。ちなみに、ここは有名な清里-野辺山の鉄橋の近くです。1986.8.ですが、国道のバイバスが完成しておりました。

これにて今回の旅はおしまい。渋滞に遭わないうちにと中央道を急ぎますが、さすがにレジャーシーズンゆえに相模湖で渋滞から離脱して津久井湖の方をまわって八王子の実家に帰り着きました。
なお、友人とはこの旅行の落ち穂拾いとばかりに秋に夜行急行信州(妙高?)で出発して夕方のアルプスで帰って来る行程で信州早回り旅行をしましたが、それはいずれかの機会に。
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上州・信州私鉄・国鉄巡り1986 その3

しつこく続けてますが、さすがに国鉄の濃度も上がって来るのでタイトルを少し変えましたf(^_^;
上田原訪問後は、上田には戻らず山越えをして、篠ノ井線の田沢付近に出ました。せっかくなので急行天竜を一枚。

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1986.8. 篠ノ井線田沢付近

このあとは松本電鉄の新島々を目指しました。線路は新島々の先まで延びていて島々と書かれた駅名標がありました。

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この時は土砂災害により新島々-島々は休止になっていたように記憶しております。少し戻って松本電鉄を撮影しました。

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新島々から1駅か2駅戻った付近で撮影

このあとは少し奥にある梓湖に行きました。もっと行けば上高地ですが時刻は3時をまわっており後のスケジュールのことを考えてここで引き返しました。
私鉄巡りはこれで終わり。翌日は小海線をめざすために宿泊地を茅野にしました。
つづきます。

上州・信州私鉄巡り1986 その2-2

いささかくどくて恐縮ですが、補足の画像をアップします。

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ちょっとメルヘンチックな乙女駅の光景

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上田駅にも、置き換え用のカエルが待機中

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丸窓+平面ガエルのペアを丸窓側から
にて
1986.8. 小海線&上田交通

平面ガエルというとど根性ガエルを思い出します。

上州・信州私鉄巡り1986 その2

妙義山のそばを通って軽井沢に抜けてからは、小海線の乙女駅に寄ったりしながら上田へ。ここで、少し上田交通(当時の名称)を撮影して別所温泉に投宿。
翌日は、まずは別所温泉駅および付近で撮影しました。

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平面ガエルとの並び、別所温泉駅にて

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手前の電車が出て行き、平面ガエルと丸窓電車のコンビが良く見えます。
このあとは上田原にあった車庫に向かいました。

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撮影場所失念

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確か上田原の駅構内?

このあとは車庫での画像を何枚か。

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既に後継車が待機

上田交通を堪能したあとは松本の方に足を進めました。

つづく

上州・信州私鉄巡り1986 その1

かれこれ27年も前のこととなりますが、群馬から長野を旅行したときの記録です。まずは群馬県高崎市や富岡市に向かい、上信電鉄を目指しました。

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きちんとメモを取ってないため場所が不明で恐縮です。確かこの車両は西武からの転用でした。

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この車両は、当時としては画期的な新車だったと思いました。

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今回一番の目的はこれ、まだ貨物列車が現役で走っていたのですね。
全て1986.8.撮影。上信電鉄にて。

上信電鉄は乗り鉄目的で数年後に再訪し富岡製糸工場(跡?)等々見学しました。

旅行の続きですが、この時は珍しく車で旅行しました。乗っていた1976年式シビックが1か月ほどでお別れだったのでさよなら運転を兼ねてました。
このあとは下仁田に寄って、軽井沢を通り今夜の宿泊地の別所温泉を目指しました。愛車は非冷房車だったので軽井沢に向けて登るに連れて涼しくなっていく様子が肌で感じられました。
(つづく)

スカ色E217系が東海道線で試運転中

昨日も見掛けました。本日は1116頃に茅ヶ崎-平塚の相模川の橋梁で旅客線を下って行きました。
とっさのことで写真は撮っておりません。

山陰本線1986.5.

この時は就職したてで山口県で1か月ほど研修中でした。せっかくなので、とある休日に萩の方に繰り出した時の一枚です。萩をめざしていたら山陰本線の踏切があったのできれいな海をバックに撮影。

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山陰本線の萩付近のどこか

東海道線旧線 めがねトンネルへの道

分かり難くて恐縮ですが左手の空間がかのめがねトンネルへ続いているそうです。私はたった一度だけ157系のあまぎで通りました。

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2013.8.24. 根府川-真鶴の車中から。
いま探検するとヤブ蚊やらヘビやらスズメバチと遭遇しそうで大変そうです。

品川近況

東海道線で下ってます。品川到着の右窓に真新しい電留線が姿を表してました。メッキ仕立てでピカピカの架線柱がまぶしい。奥の方には、サンライズエクスプレスが今夜に備えて休んでいます。
時代は着実に進んで、近い将来新しい直通運転が始まります。
そして、かつて鉄道少年をワクワクさせたエリアは、このプロジェクトのために整備されているようです。
少し寂しいけど、草ぼうぼうの荒れ地を眺めるよりはずっと良いなと自分に言い聞かせながら、かつての華やかな頃の光景を脳裏に浮かべてました。
なんてことを考えていたら、窓の外を京急800系が、暫くして相鉄7000系が横切って行きました。俺たちはまだまだ現役だよって感じで。

8/22朝活

今日は。本日都合により今頃電車に乗ってます。
話は遡って8/21帰宅時にこのようなホームライナーを目撃。

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2013.8.21. 小田原にて
雷で空が妖しく光っています。

ならば翌朝のライナーを、先日踊り子を撮った場所でと鴨宮に向かいましたが、被りが気になり駅の時刻表をチェックしたらビンゴの模様。しゃあないので、ホームから。

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2013.8.22. 鴨宮にて

すぐに来た下り電車で早川に移動し待つこと暫し、この貨物列車を撮って朝の散歩終了。

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2013.8.22. 早川にて
あらら、スノーブロウ切れた。

この時間帯早川では上り列車が25分くらい来ないので小田原まで30分掛けて歩いたら汗だくでした。

熱海

土曜日に秋田新幹線甲種輸送が近所を通り、漸く撮影出来ました。が、通過時間に翻弄され通過直前に辿り着きバタバタと撮影。ただ撮りましたという結果でしたので次回やり直し決定。
通過時刻は前回7月下旬と同じだろうと撮影に向かう電車内でネットをチェックすると予想より遅い時刻で運転らしい。となると甲種輸送で良く使うあのスジだろうと予想。1時間ほど余裕が出来たので駅内のカフェでモーニングカフェを頂き、頃合いをみて俯瞰できる場所めざして移動開始したが、何気にネットを見ると真鶴通過の情報に慌てて直近の場所に変更して何とか撮った次第でした。

これで帰るのも癪なので真鶴・湯河原パスを買って下り電車に乗り湯河原や熱海に行って来ました。熱海では唯一残った185系の普通列車に遭遇しました。

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313系の普通列車がやって来ました。珍しく車掌が二人乗ってました。訓練中ですかねえ?

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2013.8.24.熱海にて

中央線の通勤型 1980年頃

高校通学で使っていた中央線は当時103,101系から201系に置き換えられていく過渡期でした。が、フィルムカメラの時代ということもあってあまりカメラを向けていませんでした。たまに何かの合間に少しばかり写していたものを紹介します。

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初詣臨を高尾に見に行った時の写真です。1980.1.高尾にて。隣はEF15が牽いてました。

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高尾-相模湖に設定されていた101系の臨時列車。撮影時期不明、高尾-相模湖にて。

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この編成はクハだけ山手線か京浜東北線にATC付新製車を入れて置き換え、捻
出されたクハにピカピカの新製中間車を組合せた編成だったと思います。
撮影時期不明、西八王子-高尾にて

昨夜(8/22)の北斗星

昨日は自分の勘違いで会議をサボりそうになり慌てて都心に出掛けました。普段着だったのですが、クールビズのおかげであまり目立たず助かりました。この会議いつも6時には終わるので直帰モード、せっかくなので上野に少し寄り道。
上野に着いたのは18:50頃、最後尾から前方に歩きます。

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最後尾は撮りそびれたので食堂車から。自分にはやはりサシ481とダブります。

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先頭に到着。ほどなく14番線に普通列車が来るのでとっとと先端に退散。
そして19:03札幌に向けて出発です。今回はシャッター速度1/15で流し撮りにトライしてみました。

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機関車が目の前を通過~。

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食堂車が過ぎて行きました。

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最後尾~。行ってらっしゃい!

さて、鉄道雑誌が軒並み寝台列車を取り上げてて、今後の動きが気になります。

是非とも存続させて欲しい列車なのですが。

銀河52号牽引機(EF58 129)

四国からの帰りに乗車しました。夕方の宇高連絡船で宇野に渡ってからは宇野線と山陽本線の普通列車を乗り継ぎ大阪に着いたら22時くらいでした。ここから銀河52号に乗車しました。
朝に少し長く停車する駅があったので先頭に行って機関車を撮影しました。
もう一度東海道を客車列車で通ってみたいなあ。

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1981.3.沼津?にて

写りが悪く恐縮です。

車中からのダイヤモンド富士

少し前のことですが。予想外でびっくり。

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状況的に架線やら何やらがうるさいのはご了承ください。

2013.8.18.国府津-鴨宮の車中より

1980年頃に撮ったEF15

何かのついでに撮ったようです。

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八王子にて

EF15なんて八王子機関区にたくさんいたと思うのに撮ってないですねえ。

2000年頃の103,201系 京葉&武蔵野線

そろそろ103系が危ないなんて殊勝な心がけではなくて、越中島の貨物列車撮影のついでに撮りました。

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越中島-潮見にて

高校生の時は中央線ユーザーでしたが、201系デビュー直前で、101系は低屋根800番台に冷房改造車、103系は低運転台シールドビームの新製冷房車、高運転台はATC仕様と非ATC仕様に京浜東北からきた冷房改造車と豊富なパリエーションでしたが、まともに撮っておりません。もっとも当時はフィルムカメラだったし通勤電車好きでもなければ撮影すらしないのが普通だったということもありますが、いま思えば撮っておけばなあと、当時の自分に伝えたいです。
スナップ用にハーフ版が欲しいって先輩と話してました。

総武緩行線の103,201系たち その2

たいしたことのない画像ですが続きです。

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103系というと高音モーターと呼ばれている車両が好きでした。
この時使ったカメラは1998年のデビューでAPS一眼レフゆえにコンパクトで重宝しましたが、APSフィルム絶版とともにお役御免になりました。
ニコンは女性をターゲットにしたかったようですが、今のミラーレス一眼のヒットをみると出すのが早すぎたのかとも思えます。

総武緩行線の103,201系たち その1

時期的には1999年か2000年位と思いますがこのような車両でも。

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錦糸町-亀戸にて、Nikon PRONEA-S

まだまだ103系がゴロゴロいたのですねえ。

今日の富士山

こんな感じに見えておりました。

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東海道線車中、鴨宮付近にて

続 渋谷の風景

渋谷に行った時のこと。宮益坂の近くで用事を済ませて、東横線に乗るためにヒカリエにつながる連絡通路に向かいました。するとビルの裏手で高架橋をくぐる道筋となってましたが、この高架橋が銀座線の線路でした。

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ビルの合間を通過する一瞬です。

こちらは有名かもしれませんが、地下ホームが見える楕円形の開口部です。

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2013.8.16.

踊り子112号斜めストライプ編成

東海道線の大磯駅で待っていると単独編成でやって来ました。

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2013.8.18.

小田原城のD52

いまでも現役で80円と浮世離れした運賃で乗れます。

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スマートフォンで撮影

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S字カーブで、案外速いのでうろたえてデフが切れてしまった。

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ベンチレーターがガーランド型で渋い。

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煙を吐かないとか、汽笛がクルマのクラクションに似ているとかは、大人の事情なので突っ込まず大人目線でやり過ごしましょう (^o^)v
2枚目以降、SONY DSC WX-300 で撮影

五能線1730列車乗車記 1981.7. その2

ちょっと記憶が定かではないですが、ここで機関車が切り離され貨車、確かワムを1両牽いて客車の前方に連結されて混合列車のスタイルとなりました。先程の津軽鉄道にしろ入れ換え作業にしろ写真を撮っていたのですがネガが行方不明で紹介できず恐縮です。
ここからは夏の美しい日本海が車窓に広がりますがそろそろ前夜の夜行での疲れが出て居眠りを。友人に起こされると千畳敷の辺りを走っておりました。この辺の風景には感動して虎の子のカラーポジを出動させたので画像が残っておりました。

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客車列車らしい最後尾からの景色です。

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いまでこそリゾート列車が走っておりますが当時はこの絶景はローカル列車だけで見ることができました。

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下りの混合列車とのすれ違い、1980年の時刻表だと岩館となっています。

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自分達の乗った列車。撮影場所不明。

ぜいたくにも絶景に飽きた頃、八森という駅に到着。何と専用線と怪しいELがいますが唐突すぎて写真すら撮れませんでした。その専用線に心残りなままで終着東能代に到着。
しかし、乗り継ぎ列車急行こまくさとの接続はわずか4分、余韻に浸る間もなくやって来たディーゼル急行に乗り込み、客車鈍行のぜいたくな旅は幕を閉じたのでした。

※八森の専用線は、日本海金属という会社の発盛精錬所関連だそうでググるといろいろと検索できます。

五能線1730列車乗車記 1981.7. その1

1981年夏、東北新幹線開業を翌年に控えたこの年、東北ワイド周遊券を携えて旅に出てました。目的は消え行く在来線優等列車と未乗線区の乗り鉄でした。但し、私も鉄友もどちらかというと乗り鉄派だったので行程は乗り主体でした。東北地方のほとんどが未乗だったので、夜行列車から上手く乗り継ぎを駆使するプランで行動してました。
五能線に行く前夜は急行八甲田上り→盛岡→下り列車で夜明かしでした。ワイド周遊券所有者にしては賢くない行程でしたが、次の日は松島の親戚に泊めて貰う心づもりなので北から乗り潰しを始めた方が好都合だったのです。
しかし、前夜のゲリラ豪雨が下り八甲田に影響を与えたのか定刻になっても現れず未明の盛岡で待ちぼうけを食らうはめに。この列車を八戸で降りて、八戸線→久慈線→国鉄バス→岩泉線→宮古線と乗り潰して行くプランは遅延か寝過ごしでこけて見送り。次善の案として黒石線と五能線に行くプランに変更しました。八甲田は何かと便利な列車なのでした。
距離が長く乗りつぶしには手強そうな五能線でしたが、青森で八甲田から奥羽線に乗り継ぎ川部で黒石線を往復するといい感じに乗り継ぎできることが分かっていました。そこでまずは川部に向かい黒石線に乗りました。川部発車と同時に折よく、特急日本海が通過して行きます。当時はヘッドマーク無しのED75が牽くブルトレでしたが由緒ある列車の登場にちょっと興奮。撮影はしたものの何だか良く分からない仕上がりに。あっという間に黒石線踏破を完了し、川部に戻り五能線の東能代行き旧型客車列車に乗り換えます。列車番号は1730列車。
この列車蒸気機関車時代は良き被写体だったようですが、自分たちが訪れた時はDL牽引の混合列車でした。この列車に乗った理由は乗りつぶしに便利だったとの単純な理由でしたがいま思えば乗っておいて良かったです。
当時の時刻表はなかったので前年1980.10.の時刻を見てみましょう。
1730 弘前807-川部820/840-五所川原920/934-鰺ヶ沢1012/1033-深浦1144/1156-陸奥岩崎1224-沢目1340-東能代1410
結構途中で長時間停車があります。

さて40分ほど走って五所川原到着。停車時間を利用して津軽鉄道を見に行くとDL が客車を牽く魅力的な列車が発車して行きました。
五所川原を過ぎると乗客は激減して気だるい時間が流れラッシュうだうだしていると海に差し掛かり沈没船のマストが見えました。鰺ヶ沢到着です。
その2に続きます。

食べられるとは知らなかった

地元のお好み焼き&海鮮のお店で夕食中。本日のオススメメニューを見ると、生しらす、黒ムツ等に混ざって「ふじつぼ焼」との文字が (゜ロ゜)
これって食べられるですね?知らなかった。

川越線電化開業直前の貨物列車

電化開業が1985.9.30とありますので9月の中旬くらいに出掛けたようです。場所は指扇-南古谷の荒川橋梁です。
ここで、電化で消えるキハ35の普通列車や訓練運転の103系等を撮ってましたが、どれも今一つな写り。何とか見られるのがこの一枚でした。

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後の積み荷はおそらくセメントですかね。この時は八高線でもセメント輸送が盛んで、まさか消えるとは思ってもいませんでした。

渋谷で

今日は所用で渋谷に行ってました。行き先が原宿寄りだったので、用件が終わって宮下公園を歩いていると、埼京線のE233 系をようやく見ることができました。

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あと代々木のドコモタワーを背景に。

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渋谷-原宿にて

8/11の富士山

少し前のことですが、みごとな夕焼けとともに富士山が見えておりました。

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8/11 小田原市内酒匂川の堤防より
少し分かりにくいのでアップの画像も。

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回顧、奥羽本線のスイッチバック駅訪問

あれは確か1989年のこと鉄道雑誌の記事に福島-米沢間のスイッチバック駅廃止が近いことが記述されていた。現在の山形新幹線乗り入れに伴う工事が始まるからだ。さすがに、これは一大事とばかり、GWに友人と遠征することになった。
普段は乗り鉄&飲み鉄旅行の相棒であるが、現地での移動を考えて友人のファミリアで夜の東北道に向けて走りだした。いまなら絶対こんな行程は組まなそうだが、プランは夜通し走って早朝の庭坂からスタートしてその日は奥羽本線と福島交通を訪問後福島泊。次の日は阿武隈急行→磐越東線と回って常磐道のSAで車中泊。3日目は常磐線を撮影後に日立電鉄を訪問して帰京というかなりの強行軍であった。
なんて、いま思い返すと疲れた記憶ばかり出てきますが、時が経つと何故か楽しい思い出ばかりf(^_^;、そんな旅行の記録から幾つか紹介します。

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上は初日、実は2枚目は二日目朝のあけぼのです。初日は失敗して正面を撮り損ねたので福島飯坂温泉の旅館から超早起きで駆け付けました。しかしながら、腕の問題と曇天の影響で、タイムマシーンがあるならばもう一度撮り直しに行きたいです。

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これは初日の11:00頃?、板谷のスノーシェッド近くです。5枚目の12系は臨時急行です。

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場所を良く覚えておりませんが峠-大沢だったような・・・。

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二日目に行った阿武隈急行の梁川付近?だったと思います。

勇んで行ったわりにはこの体たらくですが、4つのスイッチバック駅すべてに行けたので満足でした。特に秘境駅赤岩訪問はいまでも鮮明に覚えているほど印象深かったです。