最近、1ノッチ流しを目撃しての感想

通勤時には、ライナーの始発や回送で折り返して行く光景を時々見掛けます。特に185系は抵抗制御なので懐かしい音声を聞くことがあります。
一例を挙げると次の様な光景が展開します。
前方の出発信号が青に変わる
ブロア起動
発車ベル鳴動
短笛一声
ブレーキを緩開するエアの音、列車がそろそろと動き始め、(ノッチオフ)断路器のスコンという作動音
再度ノッチを投入して加速

といった流れを今でも見ることができます。但し、今は抵抗制御車が少なくなったためか必ずしも1ノッチ流しをするわけではありませんが、それなりの頻度ではお目にかかれます。
国鉄時代は東京から東海道線の113系に乗ると必ず目にする光景でした。
また、上野発の特急電車だとダブルで装備されたパンタグラフの音や食堂車の甲高いMGの音も加わって、自分にとっては在来線特急全盛期の象徴する音声でした。抵抗制御の電車は減って行く一方であり、こんな光景もいつかは昔話となってしまうのでしょうね。

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2013年版1ノッチ流しはこの車両で目撃 スマートフォンにて撮影
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特急しらさぎ予想外の出合い2002年

撮影は2002.12.25.の14:03となってました。年の瀬も迫ったこの日に急遽名古屋出張となり渋々出掛けたことを覚えています。名古屋に着いた直後に撮影したのでアポイントメントは15時だったのでしょう。実際、多忙な方との打ち合わせだったので少し待つことになり解放されて名古屋駅に戻ったのは19時近くでした。
しかしながら、確かこの時点ではしらさぎ号は青色塗装の485系に置き換えられていたと記憶してますので、思わぬクリスマスプレゼントとなりました。

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※米原迄は東海道線を走るので東海道線の書庫にしました。

身延線1981&2011

2年前に山梨に行った際に身延線の近くを通り、タイミング的にほどなく列車が通ることが分かり少し寄り道をしました。
後になって、30年前とほぼ同じ場所に行ったことが分かりました。

1981年は5月位だったと記憶してますが、八王子からは臨時客車急行アルプスで甲府に向かいました。同行者は高校の後輩と二人。アルプスの時刻が確か1時代ととてつもなく遅かったので後輩には早めに八王子の実家に来てもらい時間をつぶしてました。当時は高校生が深夜に外にいるのはちょっと怖かったこともあってその様にしてました。今なら撮影しながら待っていたかもしれませんが、八王子駅の線路配置や構内の明るさ等もやらなかった理由かもしれません。
さて甲府までの乗車では寝たらアウトなので最後尾から車窓を眺めたり、窓を開けて風にあたったりしてました。甲府では長い停車時間を利用して対向ホームから列車を撮影しました。

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時間は午前3時位なので身延線の車両はまだ眠りについてました。

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一番列車に乗りロケハンしながら選んだ先は東花輪ー甲斐上野の大カーブ、甲斐上野で下車しました。

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そこで撮った1枚です。どうやら寝不足でへろへろだったらしくまともなコマがあまりありません。同時に撮ったEF15貨物や165系の急行は気負ってないせいかまだちゃんと写っているのに!

そして、最近の同所です。3枚目との共通点はインカーブの『7』と書かれたキロポストです。一応同一箇所と考えられるのですが、架線柱が。新しくなり、道路が線路沿いにできて印象が変わっています。

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この列車が笛吹川を渡って来るところです。撮影は2011.5.奇しくも旧型国電を撮った30年後のことでした。

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汽笛

今乗っているE231系の汽笛がちょっと電気機関車の音色に似ています。甲高い音ではなく少し低めの音で、わりと好きな音色です。
なぜかこの車両電笛が聞こえてきません。まあ、いいけど。

ある父娘の休日@横浜

踊り子104 号で横浜に着いてからは桜木町に向かい、この様な列車を見せて、石油輸送の実例を社会勉強(笑)。

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いや、単に二人並んで撮影かも。その後は、クイーンズスクエアをウインドウショッピングしつつインターコンチネンタルホテルの方に向かい海に出ました。そこからは、こんな乗り物で山下公園迄プチ船旅。

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船内からはこんな眺めも。

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山下公園からはこのタワーに心惹かれつつ時間の都合で↓↓の地下駅から再びみなとみらいに戻って来ました。

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この後は買い物して豆腐アイスで涼んでから桜木町経由で横浜駅に向かい帰宅の途につきました。

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ということで少し慌ただしいけど充実した休日でした。

踊り子104号

小田原→横浜36分ノンストップ。子供と二人この列車で横浜に向かいます。
本日はエクスプレスカラーのOM01 編成です。
MT54が快調に唸りテツにはたまりません。タイフォンもまさに国鉄型の音。

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今日の推回1列車

自分が都内に行く頻度を考えると、今シーズン推回を撮れるのは最後のチャンスだろうということで、性懲りもなく足を伸ばしました。
日頃の運動不足解消のつもりで御徒町から上野公園通って鶯谷に歩いたら、キャー、時間ギリギリになってしまいました。

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東北本線内でこの食堂車に乗ると、485系時代の活躍に思いを馳せてしまいます。

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今日ほど札幌目指す人が羨ましく思えた夕暮れはありませんでした。

1985板谷(続き)&交直流急行型

先日の奥羽本線の普通列車で撮影したと思われるネガからの別のコマを取り出して来ました。

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スイッチバック駅のスノーシェッド内です。少し明るく補正を掛けてます。大沢、峠、板谷のどの駅かは記録が残っておらず不明です。

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こちらはオープンなので赤岩とわかり
ます。この間に板谷の駅名標が写してあったので上り列車と分かりました。

ついでと言ってはなんですが、仙台駅での急行型です。先程とは別のネガで続きの撮影と思われます。

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快速と表示があるのでおそらく仙山と思われます。

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こちらが当日の本命、急行まつしま8号です。別のコマに発車案内が写してあり8号と分かりました。廃止まで後1,2週間ほどだったためか既にグリーン車が外されておりました。この時は、グリーン車が外された編成を見たら物悲しくなりました。そして、私が乗った現役最後のまつしま号となりました。

板谷越えの車窓

東北新幹線の上野開業で、455系の急行列車まつしまやざおう、黒磯ー仙台の客車普通列車が消える前に東北に向かいました。黒磯までは急行なすの、黒磯からは旧型客車の普通列車に乗って、福島ー米沢間に寄り道。奥羽本線で撮った一コマがこの写真です。

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1985.3. 記録をきちんと取っていなかったため上りか下りかすら分からず恐縮です。

このあとは、再び客車普通列車で仙台に向かい親戚宅に一泊。
翌日は、急行まつしまで帰京しました。

快速やすらぎの日光

彩野がこの塗装になって間もないころだったと思います。かなりの雨降りだったので日光行こうとした人は大変だったことでしょう。

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20t3.11. 大船