続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
最近、1ノッチ流しを目撃しての感想
通勤時には、ライナーの始発や回送で折り返して行く光景を時々見掛けます。特に185系は抵抗制御なので懐かしい音声を聞くことがあります。
一例を挙げると次の様な光景が展開します。
前方の出発信号が青に変わる
ブロア起動
発車ベル鳴動
短笛一声
ブレーキを緩開するエアの音、列車がそろそろと動き始め、(ノッチオフ)断路器のスコンという作動音
再度ノッチを投入して加速
といった流れを今でも見ることができます。但し、今は抵抗制御車が少なくなったためか必ずしも1ノッチ流しをするわけではありませんが、それなりの頻度ではお目にかかれます。
国鉄時代は東京から東海道線の113系に乗ると必ず目にする光景でした。
また、上野発の特急電車だとダブルで装備されたパンタグラフの音や食堂車の甲高いMGの音も加わって、自分にとっては在来線特急全盛期の象徴する音声でした。抵抗制御の電車は減って行く一方であり、こんな光景もいつかは昔話となってしまうのでしょうね。
2013年版1ノッチ流しはこの車両で目撃 スマートフォンにて撮影
一例を挙げると次の様な光景が展開します。
前方の出発信号が青に変わる
ブロア起動
発車ベル鳴動
短笛一声
ブレーキを緩開するエアの音、列車がそろそろと動き始め、(ノッチオフ)断路器のスコンという作動音
再度ノッチを投入して加速
といった流れを今でも見ることができます。但し、今は抵抗制御車が少なくなったためか必ずしも1ノッチ流しをするわけではありませんが、それなりの頻度ではお目にかかれます。
国鉄時代は東京から東海道線の113系に乗ると必ず目にする光景でした。
また、上野発の特急電車だとダブルで装備されたパンタグラフの音や食堂車の甲高いMGの音も加わって、自分にとっては在来線特急全盛期の象徴する音声でした。抵抗制御の電車は減って行く一方であり、こんな光景もいつかは昔話となってしまうのでしょうね。
2013年版1ノッチ流しはこの車両で目撃 スマートフォンにて撮影
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身延線1981&2011
2年前に山梨に行った際に身延線の近くを通り、タイミング的にほどなく列車が通ることが分かり少し寄り道をしました。
後になって、30年前とほぼ同じ場所に行ったことが分かりました。
1981年は5月位だったと記憶してますが、八王子からは臨時客車急行アルプスで甲府に向かいました。同行者は高校の後輩と二人。アルプスの時刻が確か1時代ととてつもなく遅かったので後輩には早めに八王子の実家に来てもらい時間をつぶしてました。当時は高校生が深夜に外にいるのはちょっと怖かったこともあってその様にしてました。今なら撮影しながら待っていたかもしれませんが、八王子駅の線路配置や構内の明るさ等もやらなかった理由かもしれません。
さて甲府までの乗車では寝たらアウトなので最後尾から車窓を眺めたり、窓を開けて風にあたったりしてました。甲府では長い停車時間を利用して対向ホームから列車を撮影しました。
時間は午前3時位なので身延線の車両はまだ眠りについてました。
一番列車に乗りロケハンしながら選んだ先は東花輪ー甲斐上野の大カーブ、甲斐上野で下車しました。
そこで撮った1枚です。どうやら寝不足でへろへろだったらしくまともなコマがあまりありません。同時に撮ったEF15貨物や165系の急行は気負ってないせいかまだちゃんと写っているのに!
そして、最近の同所です。3枚目との共通点はインカーブの『7』と書かれたキロポストです。一応同一箇所と考えられるのですが、架線柱が。新しくなり、道路が線路沿いにできて印象が変わっています。
この列車が笛吹川を渡って来るところです。撮影は2011.5.奇しくも旧型国電を撮った30年後のことでした。
後になって、30年前とほぼ同じ場所に行ったことが分かりました。
1981年は5月位だったと記憶してますが、八王子からは臨時客車急行アルプスで甲府に向かいました。同行者は高校の後輩と二人。アルプスの時刻が確か1時代ととてつもなく遅かったので後輩には早めに八王子の実家に来てもらい時間をつぶしてました。当時は高校生が深夜に外にいるのはちょっと怖かったこともあってその様にしてました。今なら撮影しながら待っていたかもしれませんが、八王子駅の線路配置や構内の明るさ等もやらなかった理由かもしれません。
さて甲府までの乗車では寝たらアウトなので最後尾から車窓を眺めたり、窓を開けて風にあたったりしてました。甲府では長い停車時間を利用して対向ホームから列車を撮影しました。
時間は午前3時位なので身延線の車両はまだ眠りについてました。
一番列車に乗りロケハンしながら選んだ先は東花輪ー甲斐上野の大カーブ、甲斐上野で下車しました。
そこで撮った1枚です。どうやら寝不足でへろへろだったらしくまともなコマがあまりありません。同時に撮ったEF15貨物や165系の急行は気負ってないせいかまだちゃんと写っているのに!
そして、最近の同所です。3枚目との共通点はインカーブの『7』と書かれたキロポストです。一応同一箇所と考えられるのですが、架線柱が。新しくなり、道路が線路沿いにできて印象が変わっています。
この列車が笛吹川を渡って来るところです。撮影は2011.5.奇しくも旧型国電を撮った30年後のことでした。
汽笛
今乗っているE231系の汽笛がちょっと電気機関車の音色に似ています。甲高い音ではなく少し低めの音で、わりと好きな音色です。
なぜかこの車両電笛が聞こえてきません。まあ、いいけど。
なぜかこの車両電笛が聞こえてきません。まあ、いいけど。
1985板谷(続き)&交直流急行型
先日の奥羽本線の普通列車で撮影したと思われるネガからの別のコマを取り出して来ました。
スイッチバック駅のスノーシェッド内です。少し明るく補正を掛けてます。大沢、峠、板谷のどの駅かは記録が残っておらず不明です。
こちらはオープンなので赤岩とわかり
ます。この間に板谷の駅名標が写してあったので上り列車と分かりました。
ついでと言ってはなんですが、仙台駅での急行型です。先程とは別のネガで続きの撮影と思われます。
快速と表示があるのでおそらく仙山と思われます。
こちらが当日の本命、急行まつしま8号です。別のコマに発車案内が写してあり8号と分かりました。廃止まで後1,2週間ほどだったためか既にグリーン車が外されておりました。この時は、グリーン車が外された編成を見たら物悲しくなりました。そして、私が乗った現役最後のまつしま号となりました。
スイッチバック駅のスノーシェッド内です。少し明るく補正を掛けてます。大沢、峠、板谷のどの駅かは記録が残っておらず不明です。
こちらはオープンなので赤岩とわかり
ます。この間に板谷の駅名標が写してあったので上り列車と分かりました。
ついでと言ってはなんですが、仙台駅での急行型です。先程とは別のネガで続きの撮影と思われます。
快速と表示があるのでおそらく仙山と思われます。
こちらが当日の本命、急行まつしま8号です。別のコマに発車案内が写してあり8号と分かりました。廃止まで後1,2週間ほどだったためか既にグリーン車が外されておりました。この時は、グリーン車が外された編成を見たら物悲しくなりました。そして、私が乗った現役最後のまつしま号となりました。