食堂車サシ481のMG音

東北特急全盛の頃は一部の列車を除き食堂車が連結されて営業をしていた。連結位置はほぼ編成の中央で、独特の窓配置とか眼の前に来れば換気扇から排出される料理の匂いが印象的であったが、もう一つ食堂車を特徴付ける印象として、専用の電動発電機(MG)の音があった。床下の方からやや甲高い音が聞こえて来るため、外から見ても中で食事をしていても耳に入ってくる音であったが早々に食堂車は廃止されたために聞く機会がなくなってしまったのは残念であったが、大船駅で電車区への職員輸送をしていたクモヤ143を見かけた時にこの音が聞こえてきて大層驚いたことを覚えている。調べてみると、廃車からの發生部品として活用されていた様で119系の冷房電源としても使っていたらしい。
しかしながら、143系も119系も見る機会は叶わずもう聞くことができないと思っていたら、N700系の喫煙室の換気扇から似たような音が聞こえることに気がついた。
所詮音なんて空気の振動現象なので、発電機の回転数と換気扇の回転数が近い値なのだと思うが、東海道新幹線のホームに行くとついついこの音を探してしまうのであった、
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YouTubeの列車走行音について

我が仕事先は、コロナのときに事務所を縮小統合したため、今でも出社と在宅の併用となっており、家だと静かすぎて仕事がはかどらなくなる時もあり、そんな時は作業用BGMとかを聴くことがありますが、仕事の内容によっては気が散らないようにYouTubeで列車走行音を探して流すことがあります。
そして、最近見つけたお気に入りは急行「はまなす」の深夜区間を寝台車で録音した内容で、深夜ゆえに車内放送も話声も聴こえずひたすらジョイント音と空調音とたまに汽笛が聞こえてくる、というもの。自分は夜行に乗ると非日常にわくわくして目が冴えるので、程よく覚醒するみたいです。聴いてみて、実感するのは「はまなす」の脚の速さで、複線平坦区間は大体90kn/hぐらいで飛ばして行く感じで、DD51の最高速度が95km/hなのでなかなか良い仕事をしてるのが分かります。
自分ははまなすに乗ったのは1,2回しかなくその時は混雑で乗り心地を楽しむ感じではなかったため、今になってこの列車の魅力がわかりました。

意外と仕事が捗る列車走行音の効果

テレワークで仕事をしていると静かすぎて落ち着かないことがある。そこで、ユーチューブを探して、列車の走行音を流してみたら、これが思いのほか気が散らない。こんなのはワタシだけかもしれないが、チョイスが良かったのか、特急北越の音声は、ほとんど全体的にアップテンポな高速運転のためか、小気味よく仕事が捗った。
時折、新幹線車中で一心不乱にパソコンを打っている人を見かけるが、あれと同じ効果なのかもしれない。 
ところで、今更ながら特急北越号の魅力に気が付くもののもう乗れないのは残念な限り。線形の良さも相まってほとんど高速運転しているのはさすがというべきか。

【録音鉄の回顧】お気に入りは「八甲田」昭和59年9月

過去の録音のうち気に入ったものはいくつがあるが、間違いなくこの八甲田は上位に来るはず。鉄道旅行をしているうちに何時しか客車列車は一番前の車両がお気に入りとなっていた。大概は空いていることと機関車の音がよく聞こえるためである。

この日は残暑厳しい上野駅を前夜に出発して一晩走り続けて来た八甲田の一番前9号車に乗っていた。
時刻は5:59、列車は浅虫(当時)に停車していた。青森駅まであと一駅だが、見た感じ起きている人は半分くらい。冷房は夜半に送風に切り替わったようで心なしかムシムシするため窓を1cmほど開けてみた。前方らは機関車のブロアの音と踏切の音が聞こえている。
ブシュという音とともに折戸の閉まる気配、少し間があって(おそらく、車掌と機関士の無線交信の後に)、長い汽笛か鳴りやや強めのがったんという感じの引き出し、モーターの音が高まり列車は動き出す。
踏切の音が。だんだんと近づき遠ざかって行くと同時くらいにポイントが合流する音、前方から汽笛が聞こえると列車はとんねるに突入。このあいだ、機関車のモーター音はどんどん高まり列車は速度を上げていく。聞こえてくるモーター音は吊り掛けサウンドというのが気分を盛り上げる。ふっと音が軽くなりトンネルの外に踊り出す。列車は全力疾走の感じで風を切って進んでいく。短い橋梁を渡ると汽笛が鳴りトンネルに突入。先ほどと違うのはモーターの音がほとんど聞こえないこと。加速はほぼ終わって惰行運転しているようだか速度的には90-100km/hほど出ているようだ。3つ目のトンネルを抜けるとポイントを通過して野内駅を通過ホームが終わると、またポイント通過の音がして野内駅の構内を抜け出す。が、残念ながら録音はここで終わり。このあとに到着前の放送だけが録音されていた。もっとも、放送の始まる頃にはかなりの人が起き出してきて車内は騒がしくなっていたのでこれで良いのかも。
青森到着前の放送では、連絡船乗り換えの方は機関車側の上る階段をご利用ください。奥羽本線、津軽線乗換と青森で下車の方は1号車側の階段を、というおなじみの放送を聞くも今回も自分は1号車側の階段にむかうのであった。
急行八甲田は夜行列車ながらかなりの高速ダイヤでスジが引かれ乗っていても小気味よさを感じる列車だった。この音声はいずれデータ化してお披露目したいと考えている。

【録音鉄の回顧】急行「まつしま7号」昭和58年2月 上野~仙台

東北新幹線の本格開業から3か月ほど経った2月の週末、宮城に居る母方の従姉が結婚するため家族を代表して母親と二人で出かけることになった。従姉なので妹の方が良さそうだが期末試験直前だったようで父と留守番に。往路は行くだけなので周遊券のメリットが活かせる急行利用、翌日は四季が終わってからの帰途ゆえに東北新幹線初乗りと相成った。
そういうわけで昼下がりの上野駅に向かう。急行まつしまの多くはばんだいやざおうと併結で実質6両編成だが、この7号は12両編成据えてが仙台行きなので仮に混んでいても席は確保できるだろうとの読み。今回はこの乗車を60分テープに詰め込んで収録したらしい。
乗ったのはおそらく前の方(上野駅の構造上後方が混みそうなので)で、メモにはモハ454-48と記録があったので、8号車か11号車(だと思う)。テープの記録は上野駅を出発して案内放送を一通り録音したのち、次は西那須野からの収録だった。この当時の東北本線はまつしまとあずまで6往復、あとは宇都宮や黒磯までのなすのと合わせると概ね1時間おきの運転だったと記憶している。なにせ大宮乗り換えだと宇都宮に行きたい人は乗り換えが増えて料金も上がり所要時間短縮がほとんどなくメリットが無いこともあり、おそらく急行列車の人気が高かったと思われる。なので、車内もざわついていて録音は見送ったのだと思う。
西那須野時点で車内はまだわちゃわちゃしていた。考えてみれば黒磯に行きたい人もたぶん乗り換えが面倒だし、黒田原に行きたい人はなおさらだろう。うちの母親は小説を読むのに夢中なので気を使う必要はっ誘う。車内放送で「黒磯駅では電源切替で車内の照明がいったん消える」ことを告知していた。黒磯は2分停車なので、電源切替の様子を見るべく車外に出る。まずはブロアの電源が切られひゅ~んと徐々に音が弱まっていく様子が聞こえる中、ガシャンとパンタグラフを降下、少し間があって(運転士は表示灯で直流→交流切替を確認後)パンタグラフが上昇、バチバチッというスパーク音が聞こえ次の瞬間キュイーンという音とともにブロアが起動し切替完了。
車内に戻ると、タイフォン一声ののち動き出した。加速時にぶ~んという交流区間ならではの機器音が聞こえてきて聴覚でも交流区間に入ったことを認識した。
このあと、録音音声は松川~福島間の記録にとぶ。時刻は18時近く、車内は空いている様でかなり静まっている感じ。ところで、この時期の東北本線はロングレール化されているものの数kmおきに継ぎ目を通過する音が前方からバタンバタンと迫ってくる様子が聞こえてくる。あと駅構内は定尺レールとなっている箇所が多く、先ほどの継ぎ目が迫ってくる音の次にポイントをいくつか通過、定尺レールの走行音とともに踏切を通過し跨線橋を潜りホーム脇を通過する様子が聞こえてくる。そのあと再度ポイントを数個通過するとロングレール区間に突入という感じで一駅一駅進んでいく。
このあとは、藤田~越河にかけての山越え、大河原からのダッシュなどの様子が記録されていた。
ところで、455系電車のモーターはMT54搭載なのだが、乗車した車両のモーターはMT46風の音を奏でる奴だったようで特にデッキで聞く音声はMT46っぽかった。
そして、鉄道唱歌のオルゴールとともに終点目前の案内放送が始まる。列車はちょうど名取川を渡っているぐらいか背後に鉄橋を通過する音が入っていた。{みなさま、長らくのご乗車ありがとうございました。列車は間もなく終点仙台に到着します。仙台からの乗り換え列車は・・・・」と長めの放送のさなかに長町を通過し定時であることが告げられる。放送を締めくくる鉄道唱歌が流れ上野からのおよそ5時間の旅が終了。但し、録音テープは適度に端折って60分であるが。
仙台からは東北本線の普通列車に乗り継いで松島まで行き、この日は親戚の家に宿泊。
翌日は従姉の結婚式に出席後、仙台から東北新幹線に初乗車。東北特急の4時間乗車に馴らされた体にはとてつもない速さと感じた。新幹線は特に興味が無くて録音はしなかったが、停車駅ごとに異なる民謡メロディーを収録したテープを売っていたので購入した。このテープは今も手元に現存している。もともと親の帰省に付いていく時は、特急ばかりだったので急行に乗りとおす機会はあまりなかったので、この時最後の輝きを見せていた(2年後に急行は全廃となる)455系の活躍を記録できたのはラッキーだったかもしれない。