二代目ソアラ

先日、対向車線で見掛けました。初代ロードスター(ダークグリーン)も2回位見かけたし最近旧車づいてます。
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鉄道少年が車好きに目覚めた四方山話【番外】アコード·インスパイア & 90'sアコード

少し、時期が飛ぶが唐突に思い出したので様にはこの2車について記述したい。この2台がデビューしたのは1989年のことですでに社会人になって4年目、その頃は車関連の仕事をしていた事もあって、オンもオフもどっぷり浸かっている感じの日々であった。
バブルのおかげか世は高級車ブームで日産シーマ(1988)とか、三菱ディアマンテ(1990)とかが出てきて爆発的に売れていた頃で、ホンダからアコードの上級車種として出てきたのがインスパイアとビガーである。この車の特徴は何と言っても直5エンジンを縦置きしたレイアウトだろう。
流石に20代で手を出すには時期尚早とは思ったものの興味があったのでレンタカーで借りたことがある。5気筒エンジンはホンダにしては珍しくショートストロークの高回転向きで元々吹き上がりの良さで定評のあるホンダエンジンが更に高回転型になった印象で大柄の車体を楽々加速させるのは本当にSOHCかと思ったほど。とは言え、流石に当時の自分の稼ぎでは手が出なかった。このエンジンがDOHCになったら面白いだろうと思ったもののそうはならず、更には2500ccのワイドボディが主流になったために興味は薄れてしまった。
ところで、自分の車を買ったディーラーに行ったら、オーナーがエンジンオイル交換をサボっていてだめにしてしまった2500ccのエンジンブロックが飾ってあり、複雑な構造ゆえにオイル管理はキッチリやらないと駄目と言うことがよく分かる見本に驚愕した覚えがある。

90'sアコードセダン
こちらは愛車の点検の時に代車がこの車のSiだった。1つ前の型がリトラクタブルヘッドライトでプレリュードのセダンみたいな外観だったが、こちらはインスパイアと同時のためか割とオーソドックスなデザインのセダンだった。とは言うものの2000ccDOHCは伊達ではなく、良く吹け上がるエンジンだった。
いわゆる羊の皮被ったオオカミ的なクルマで見た目はおとなしめなのに実力派という感じだろう。
そういう意味では面白そうなクルマだったけど、当時はまだ4ドアは早いと思っていたので、購入には至らなかったがその後のアコードを買う切っ掛けにはなったようだ。
追伸、この車のCMの曲はジェフ・ベックだったとは今更知りました。

鉄道少年が車好きに目覚めるた四方山話(3) 唐突に車が来た

CR-X登場の数か月後日、シビックがモデルチェンジして通称ワンダーシビックとなったが、この時はさほど興味を持っていなかったある日、1年前に結婚した従姉から電話が来た。なんでも、独身時代乗っていた車が埼玉県の実家に置きっぱなしで両親(自分にとっては伯父伯母)は乗らないので、欲しかったら譲るけど、との内容だった。まさに棚から牡丹餅とはこのことで両親に相談してOKを取り付け、自分は運転免許を取るべく教習所探しを始めた。
そこで秋のある日に父親と親戚宅に車を身肉とバッテリーは完全放電していたので、近くのカー用品店に古いバッテリーを持ち込んで同じ型の新品のバッテリーを購入し古い方は引き取ってもらった。装着していざエンジンを駆ければ、一発で目覚めたものの最初は真っ黒な排気ガスを吐き出したものの、回転が安定すると特に問題はなさそう。そこで、親戚の家を辞して八王子の実家まで父親の運転で回送。
その後は所有者変更の手続きが必要で、警察署に行って車庫証明を取るもなかなかの手間で閉口した(時間はある学生なので車庫証明は自力で取得)。並行して教習所に通い、府中にある免許センターで晴れて普通自動車運転免許証を取得した。
ところで、我が家にやって来た従姉の車は、昭和51年式の初代シビック4ドア。1200CCのCVCCエンジンを積む排ガス規制対策車。ミッションは4速マニュアル。あいにく非冷房車ではあるが、そんな贅沢は言ってられなく、この車が3年弱の相棒となった。この当時、自分のあこがれていた車はTE71レビン/トレノで直線基調のデザインに対して、シビックは丸っこい印象なのであるが一緒に過ごしてみればいつの間にか愛着がわくものであった。
このシビックは移動中にオーバーヒートに遭ったり(ラジエターのサーモスタットの故障)、タイヤの交換を出先でする羽目になったりと、車の扱いをあれこれ勉強できてよい教材だった。
とはいうものの、当時は登録10年以降は1年車検になることと、自分が社会人になったこともあって、昭和61年の秋にお別れとなってしまった。
しかしながら、この車のお陰でホンダ車好きになっていくのであった。
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確か梓湖で撮影、今よりかなりスリムな体形です。

鉄道少年が車好きに目覚めた四方山話(2) バラードスポーツ CR-X

大学に行くと周りの友人の多くは運転免許を取るが、わが家には車がないこともあって親からは反対され、さりとて教習代を稼ぐには長期休みでないと無理(学業を放ったらかしたら本末転倒)なので、学校では相変わらす友人たちのクルマ談義を薄い興味で聞いていた。そんなある日、授業が休講となり次の次の講義まで時間を潰す事になったため、ショールーム行かないかとお誘いがあった。
(てっきり青山のホンダに行ったと思ったけど、この時は未開業)その時に見たのが、初代のCR-Xだった。このときのキャッチコピーがデュエット·クルーザーで一応4人乗りだけど実質は2シーターと変わらないということらしい。この車で気に入ったのは、コンパクトさで幅1625×高さ1290×
長さ3670mmのサイズ感でこのコンパクトな感じはかなり気に入った。普通ならば110馬力の1500ccエンジンに惹かれるはずが、なぜか80馬力の1300ccエンジンが気になっていた。ちなみに、この1300ccは米国のセクレタリーカーを狙ったらしい。そんなわけで琴線に触れたらしく、モーターファン誌の新車特集「◯◯のすべて」のシリーズで初めて買ったのはこの車種だった(今は行方不明)。 当時のホンダ車で自分の興味を一番引いていたのはシティで、プレリュードは大人向けに見えたので全く興味がわかなかった。
というわけで、車とは近からず遠からずな生活を送っていたが、CR-Xデビューから数か月後に、車と深くかかわることになるとはこの時には思っても見なかったのである。
余談であるが、CR-Xのことを調べていたらバラードスポーツCR-Xの1300ccの中古が今でも存在することに気づいてしまった。

鉄道少年が車好きに目覚めた四方山話(1) 「ついんかむ」って何ぞや?

親に言わせると自分は生まれて間もない時期から鉄道好きだったらしく、幼児の頃は泣き止まない時は近所の京王線を見せれば泣き止むような子供だったそうです。そんな子供が小学生になると、クラスの仲良くんは車好き、近所に住む同学年の子は電車好きだったので、学校の下校時は車名当てとミニカーコレクションのお披露目、家に帰ればプラレール遊びをする日々だった。当時のお気にいりは、ダルマセリカとS30フェアレディZだったが、実家の車は日野コンテッサの初代モデルであり、現実はそんなものだった。
そのコンテッサも小学校高学年になる頃にはエンジン不調となり会えなく廃車。以後は大学に入るまでは車なし生活が続くことになる。それとともに、車への興味が薄れ、暫くは鉄道趣味どっぷりとなってしまうのであった。
変化があったのは大学に進学してから。周りの同級生が運転免許を取るようになり、理系ということもあって同級生たちの興味は専ら車、授業の空き時間に近隣のショールームを巡ったり、車雑誌を読み漁るなどの日々が続く。そして、理系ゆえに自分の車でもないのにあの車種は馬力がどうだとか、サスペンションがどうとかそんな議論をする日々となる。しかもメカニズムについては分からないことがあっても、周りの友人たちが教えてくれるし、雑誌やカタログで知識だけはどんどん蓄積していくのであった。時期は1980年代前半、1976,1977年に強力な排気ガス規制があり、排ガス浄化と引き換えでパワーダウンしていた日本車だが、このぐらいの時期から排ガス浄化とパワーを両立できる技術が出始めつつある時期であった。まず出てきたのは、ターボエンジンで特にこの時期の日産車にはターボエンジンが多かった印象がある。トヨタ車にもターボの設定はあったが、そんな頃に登場したのが、2000CC6気筒の4バルブDOHCエンジン:1G-GEUでトータル24バルブなので搭載車は「TWIN CAM24」のエンブレムとサイドデカールを誇らしげに装着するようになった。
このエンジンは、当時人気のあった「ソアラ」や「セリカXX」にも搭載され、同級生たちの羨望の的となった。自分たちが大学戦となった翌年には、レビン/トレノがモデルチェンジしてのちに大人気となるAE86が東上、と同時に1600CC4気筒の4バルブDOHCエンジン:4A-GEUが登場、こちらは「TWIN CAM16」のエンブレムとデカールとなった。
ちょうどトヨタがDOHCエンジンをツインカムと呼び出したのは、おそらくこのぐらいの時期だったと思う。
一方日産は同じ時期にスカイライン用として2000CC4気筒ながら4バルブDOHCのFJ20エンジンを登場(、こちらは4VALVE DOHCというデカールを掲出した。なお、このエンジンは4気筒ゆえにスカイランはGTを名乗れずRSとしたそうだ。(GTは6気筒専用だそうです)
そんなわけで、同タイプのエンジンながら方やツインカム、もう一方はDOHCと名乗り、えええ~となるわけだが、これらのエンブレムやデカールは高性能の証ゆえに、周りの友人たちは色めき立ったわけだが、現実には自分の車にするにはハードルが高過ぎる存在だった。

それはさておき、のちに名機と呼ばれる高性能エンジンが相次いで登場した時期と車に興味を持ち始めた時期がいい具合に一致したがゆえに、頭でっかちのスペックオタとなって行ったのは自明の理である。
ひと様から見たらどうでもよい与太話であるが、鉄道少年が車オタに感化されていった与太話をしばらく綴るつもりである。(2)につづく