続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
在来線の高速列車 青函トンネルを走るはつかり
在来線の高速列車というと、現役バリバリの「スカイライナー」とかつてもほくほく線の「はくたか」が160km/hで双璧だが、かつての「はつかり」、のちの「白鳥・スーパー白鳥」も青函トンネルを140km/hで走行しなかなかのもの。
昔の録音テープに1997年の「はつかり」の青函区間を記録したものがでてきました。車両は485系3000番台でしたが、」トンネルに突入すると近郊型電車かと思うような高らかなモーター音を唸らせて突っ走り、近くの席に居たおばさまたちのおしゃべりもかき消されるほど。そして、トンネルを抜けて木古内に近づくと、おしゃべりの声が聞こえる普通の音量に戻っておりました。
写真は三沢駅ですが、485-3000つながりで。
例によってプリントをスマートフォンで撮影の見苦しい画像です。
昔の録音テープに1997年の「はつかり」の青函区間を記録したものがでてきました。車両は485系3000番台でしたが、」トンネルに突入すると近郊型電車かと思うような高らかなモーター音を唸らせて突っ走り、近くの席に居たおばさまたちのおしゃべりもかき消されるほど。そして、トンネルを抜けて木古内に近づくと、おしゃべりの声が聞こえる普通の音量に戻っておりました。
写真は三沢駅ですが、485-3000つながりで。
例によってプリントをスマートフォンで撮影の見苦しい画像です。
19年前の北陸本線にて
2003年のとある9月の土曜日は仕事で愛知に行ってました。土曜日なので、用事が終わると最寄り駅春日井から速攻当時は現役だったセントラルライナーに飛び乗り名古屋から何故か西に進み米原で「加越」に乗り換えて敦賀下車。
小浜線用でしょうか、こんな色の113系が(撮ったことすっかり忘れてました)
向こうから大阪行の「雷鳥」が、北陸トンネルとの気温差で窓が曇ってます
この先の130km/h運転に備えダブルパンタに切替
まずは新疋田駅でトワイライトエクスプレスなどを撮るものの、この頃は新疋田駅での撮影マナーを取り沙汰されていた頃で居心地が悪そうなので早々に退散。一駅隣の近江塩津に移動。てすぐさま来たのが「雷鳥」
振り向けば200番台
北陸なのでロクパーやら
食パン電車も来て飽きることはありません。
ただ、貨物列車はこの1本だけでした。
2時間ほどの滞在ですが、さすがの特急街道だけあって飽きることはありませんでした。この後は、再び敦賀に戻り485系の雷鳥で130km/hの豪快な走りを堪能して京都まで行き、更に東海道線で米原まで出て新幹線で帰宅しました。当時は琵琶湖を一周できる近江路周遊切符があったのでこのような行程を取りました。
小浜線用でしょうか、こんな色の113系が(撮ったことすっかり忘れてました)
向こうから大阪行の「雷鳥」が、北陸トンネルとの気温差で窓が曇ってます
この先の130km/h運転に備えダブルパンタに切替
まずは新疋田駅でトワイライトエクスプレスなどを撮るものの、この頃は新疋田駅での撮影マナーを取り沙汰されていた頃で居心地が悪そうなので早々に退散。一駅隣の近江塩津に移動。てすぐさま来たのが「雷鳥」
振り向けば200番台
北陸なのでロクパーやら
食パン電車も来て飽きることはありません。
ただ、貨物列車はこの1本だけでした。
2時間ほどの滞在ですが、さすがの特急街道だけあって飽きることはありませんでした。この後は、再び敦賀に戻り485系の雷鳥で130km/hの豪快な走りを堪能して京都まで行き、更に東海道線で米原まで出て新幹線で帰宅しました。当時は琵琶湖を一周できる近江路周遊切符があったのでこのような行程を取りました。