下津井電鉄 1990年頃

瀬戸大橋が開通して2年ほど、まだ下津井電鉄が健在でした。
惜しむらくはコンパクトカメラしか持って行かなくて大して写真を撮らなかったことでしょうか。

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【信州で】へーめんガエル

ぴょん吉ではなく、上田交通の方。
このゲテモノ感に瞬殺された35年前の夏。

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松本電鉄の車両

1986年8月の撮影です。このころは東急5000系の投入される前でした。

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たぶん、波田か淵東辺りですがちゃんと覚えていません。

押し入れから出てきた南部縦貫の写真

1981年に訪問して撮ったことは確かですが、ネガを紛失。諦めていたら、紙焼きをしていた中に入ってました。これは嬉しい誤算です。

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取りあえずはデジカメで撮影して画像データ化してみました。

1998年12月新潟交通探訪-4

白根の駅では増結用の車両が停泊していました。

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暫くするとこの時点での終点である月潟行きがやってきました。この電車で終点に向かいます。

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終点月潟では運転台とかを撮影しておりました。

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客室よりガラス越しに撮影
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この後は、月潟駅で数枚のスナップの後は、一気に新潟駅らしい場所でE1系MAXと200系の並んだ写真になっておりました。月潟からはどの様に新潟に移動したのでしょう?記憶が残っていないので、以下は推定です。
この月潟駅からはかつての終点である燕駅まで代行バスが走っていました。しかしながら、本数はかなり少なかったように思いまし。仮に燕に出ていたら、新幹線は燕三条でしょうし、弥彦線の115系も撮っていて良さそうな気がします。よって、素直に来た道を戻り、東関屋駅から新潟に出たんだと思います。
上越新幹線の写真の次には浦佐駅と思われる場所で115系を撮っているので、新幹線を浦佐で降りて、上越国境を在来線で越えたのだと思います。夕闇の中で湯桧曽のループ線を一生懸命目を凝らしてみた記憶があります。そのあとは鉄友と呑み鉄しながら上野をに向かったことが容易に想像できます。
こうして1998年の年末休暇の1日目は新潟交通で明け暮れていくのでした。
(終わり)