中央東線 急行列車

記憶はいあいまいですが、昭和54年か55年頃、高尾-相模湖での記録です。跨線橋の左側の柱の根元付近で子供が2人遊んでおりますが、今ならおそらくアウトな位置も当時は特にお咎めなしだったようです。

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近づいてきたところでもう1枚。
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1403Mと読み取れるのでおそらく「アルプス3号・こまがね3号」ですね。当時の興味が、急行>特急だったので、地元では165系撮影がメインでした。

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103系の思い出

兵庫の和田岬線からいよいよ103系が引退だそうで、長編成は見納めだそうです。自分はあと2週間の間に神戸の方に行く可能性は低いのでネットでお別れでしょう。
自分の場合は103系と一番深く接点が有ったのは高校通学で津中央線を使っていた時期でした。その頃は201系は施策編成が出たばかりで、ダブルパンタとステンレス切り抜きナンバーの201系は格好良く見えましたがそれは別の機会に書きます。
したがって、中央線の通勤電車のラインナップは、103系新製冷房車と冷房改造車、101系の冷房改造車と非冷房車でした。この時期国鉄は山手線と京浜東北線にATC準備車を続々と増備中で、クハだけ新車を入れてすげ替えられた古いクハと新車の中間車が続々と他の線区に入ってくる状況でした。大量生産のために、モハ102は2000番台を名乗る車両が出始めたころでした。先頭車クハもATC付が必要両数揃ったようで今度は高運転台仕様のままATC非搭載車が出てきて気がつくとクハ103に800番代を名乗る車両が出てきました。写真の車両は武蔵野線で写しましたが、まさにその非ATCのクハ103です。

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中央線の通勤電車は特別快速に入る運用に冷房車を優先的に入れるので朝の通学(特に夏)はその特別快速につながる運用の電車に乗るのがマストで毎朝の電車はまさにその運用ですが、ダイヤ乱れがあると運用が差し替わり非冷房車が来ることがあり、当時のラッシュはぎゅうぎゅう詰めなので大変な思いをしました。帰宅時は、定時で帰る時は特別快速に乗れるので十中八九冷房車にありつけるのがありがたかったです。
多種ある編成のうちお気に入りは、ATC化推進のおこぼれできた新製冷房車(中間車)か非ATC高運転台の編成で、この時期の国鉄車両の特徴でクーラーのカバーはステンレス無塗装、乗降扉下側のステップ(靴摺り)も無塗装なのが外観上の特徴で、モーターは後期型のMT55で俗にいう高音モーターを搭載していました。この車両は新しいのでコイルばね台車ながら乗り心地がよく勇ましいモーター音が堪能できる特別快速で乗れるのを心待ちにしていました。
あまり有り難くないのは、三鷹区に居た京浜東北から転用された冷房改造車(クモハ103付きの7+3両編成)で、断熱効果なのか隙間風なのか冬に乗ると寒いで乗りたくない車両でした。
101系にかんしては、おなじく隙間風問題と連結器の緩衝材がへたっているのか加減速時に振動と衝撃が伝わってきて乗り心地が悪いのがイマイチでした。
あとは番外で甲府方面に直通する115系は通学区間だと立川〜八王子だけ乗れるので、稀に旅行気分を味わうために乗ったりしました。
その後201系の量産が決まり、103系は101系よりも先に中央線から転出して行き、」日々の相棒も201系に乗る機会が増えていきつつあったのが3年間の後半の状況でした。
その後大学でも社会人でも103系と接する機会はありましたが、はじめtrの電車通学と相まってもっとも濃厚に103系と関わり合った3年間でした。

武蔵境での西武車両入替 昭和57年

当時は昼間にやっていたようで、見に行ってました。

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このままDD13で引っ張っていったのかは全然覚えてません。

上諏訪

雪を見に長野県に来ました。

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特別快速のリアカーは撮ってないけど 高尾駅ホームに置かれた特別快速マークは偶然撮ってました

高尾臨を撮りに行った高尾駅、外した特別快速のマークがホームのラックに無造作に置かれていました。ちょうどクハ103の横辺りです。

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盗難の心配はなかったのかとも思いますが、この巨大なマークではすごく目立つし、当時の国鉄職員に見つかったら、その後にとてつもなく恐ろしい事態が予測されるので出来心があるやつはいなかったようです。