オレンジ色の宇部線105系

宇部線、小野田線~旧国を追い出した憎い奴ってことで、オレンジ色の時に撮ったのはこの1枚だけでした。場所はたぶん下関でしたが自信ないなあ。

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【黒歴史か、白歴史か】東京・上野駅で特急撮影三昧した日 その3-2  上野駅高架ホームとか

少し間が開きましたが続きてす。
今度は高架ホームに場を移し上信越特急を見に行きます。
これ、当時は気づきませんでしたが489系の編成。線路の間に無造作にボンネットのヘッドマークが置いてあるのはこの頃の定番でした。

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マークが微妙に上下ズレていたとき。こういうのも時々見たような。

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このあとは、再び地表ホームに戻りピンボケな583系を撮ったあとはクロ481を繋げたひたち。

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あと、これは再掲(他の画像にも再掲有りそうですが)のEF80。何故写したかは不明ですが、色、形ともレア物認定されたのか。画像の記録はここまででさすがに中学生といえどヘトヘトになって帰ったような記憶があります。
で、ここで撮影に調子づくかと思いきや、このあと一緒に行った友人I君と大喧嘩して仲違いしてしまい、行く相手も機会もないうちに高校受験で忙しくなり、その間に絵入りマーク登場による特急ブーム勃発。一気にファン層が低年齢化したことも有って、こういう撮影はこれきりになってしまいました。また、撮影対象もクラス替えで新たな鉄ともが出来て、京王線の旧型車両とか中央線の165系に興味対象が変わってしまったのでした。
高校に進学すると、今度は周遊券を使った放浪旅行にどっぷり漬かり、こうなると周遊券の友とも言える急行列車に親しみがわき、あるいは消えつつある旧型客車、旧型国電へと興味が移っていったのでした。結果的に、上野駅界隈に再び足を向けるのは、東北、上越新幹線開業が迫った時期で、それもヒガハス界隈まで行けそうにないときに限られました。
それはよいとして、結局I君とは卒業までに和解できず、いまとなればそのことが心残りなので黒歴史とタイトルに入れた次第です。

「やまびこ51号」 昭和54年春臨

3月某日(何日か忘れたので)に乗った時の記録から。
運転時刻は上野11:06-仙台着15:46-盛岡着18:10だったようです。

上野駅入線時
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黒磯では停車時間を利用して前方へ。EF58には驚かされました。
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客車前方を、って白幕かいっ!
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ダメ押しでサボを撮るが自由席付いていたこと今更ながら知る
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どうやら裏蓋を開けてしまった?連結まで待っていると乗り遅れそうなのでこのアングルで妥協。
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当時の感想は、生意気にも「EF65でなくてがっかり」、「どうしてED75 1000番台来ないの!」でした。そんなわけで貴重なEF58牽引の昼行特急だというのに撮っていないし、ED75一般型が特急を牽くのもめずらしかったかもしれませんが、当時の自分はこういう感想でした。

なお、この列車は対になる列車が見当たらずどうやって上野に戻すのかと思っていたら、翌日の「八甲田54号」にこの14系編成が入っていました。青森7:17-上野20:06、朝から夜まで移動に費やすとはいえ14系座席車の臨時急行が一番乗りドクだったかもしれません。


1977年ネガの続き

時系列からするとこちらが先で往路の郡山駅です。
この日、赤羽駅で「いわて1号・ばんだい1号」にわずかな差で乗り遅れ、大宮から後続の「ひばり1号」で郡山駅まで先行、ここで「ばんだい1号」を待っている間のスナップです。

まずは切り欠きホームで水郡線のキハ28を、隣には583系が入線中。
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その583系はこちら、文字マークの「はつかり1号」でした。
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奥のキハ58らしき車両は磐越東線でしょうか。もう一度タイムスリップしてみたい国鉄時代の郡山駅でした。

探していたネガが出てきました。1977年秋

猪苗代湖に行った時の記録から。
おそらくED77の記録はこれぐらいしか。パンタグラフ切れてる残念写真
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急行いなわしろ?あがの?にぶら下がっていたキハ23?
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猪苗代駅、2010年以来行ってませんが、この当時とさほど変わっていない印象でした。