続キンゴローの部屋
お気楽鉄道ファンのブログです。
お前それやるか的な夜行列車乗継-5
乗った列車 急行 せいかんナイト(函館2:44→青森5:08)
1987-1989年は北海道旅行がマイブームで3年連続で夏休みに行ってました。
記憶では乗ったのは88年夏(87年は連絡船、89年は札幌-仙台を飛行機)なのだが、検索すると設定は89年からとあり、今となっては確かめようもないし、多分当時の道内時刻表は捨ててしまっただろう。
この前後の行程もちゃんと覚えてなくて、札幌からどうやって函館まで行ったかも曖昧(たぶん特急北斗のはずだが)。
函館で夜景を見て、はまなすに乗るつもりで駅まで来たら臨時急行運転の表示があり、座れるかわからないはまなすよりかはこっちが良かろうとするも、深夜の2時すぎまで満員に近い待合室で過ごすのはかなり苦痛だった記憶がある。
どんな編成が来るのかと思ったら、はつかりの間合い運用の485系だったが、当時は簡易リクライニングシートは寝づらくて、しかもほぼ満席だったからしんどかった記憶しかない。
早朝の青森駅では、蟹田行普通列車に583系が使われていて一気に目が冴えたものの写真には残さず。
青森行は分からないが、前に札幌行のはまなすに乗った時は函館で結構降車があり、青森〜函館の需要がそれなりにありそうだと思った次第。深夜の2時に青森に向かう人がどのくらい居るのかは未知数であるが。
1987-1989年は北海道旅行がマイブームで3年連続で夏休みに行ってました。
記憶では乗ったのは88年夏(87年は連絡船、89年は札幌-仙台を飛行機)なのだが、検索すると設定は89年からとあり、今となっては確かめようもないし、多分当時の道内時刻表は捨ててしまっただろう。
この前後の行程もちゃんと覚えてなくて、札幌からどうやって函館まで行ったかも曖昧(たぶん特急北斗のはずだが)。
函館で夜景を見て、はまなすに乗るつもりで駅まで来たら臨時急行運転の表示があり、座れるかわからないはまなすよりかはこっちが良かろうとするも、深夜の2時すぎまで満員に近い待合室で過ごすのはかなり苦痛だった記憶がある。
どんな編成が来るのかと思ったら、はつかりの間合い運用の485系だったが、当時は簡易リクライニングシートは寝づらくて、しかもほぼ満席だったからしんどかった記憶しかない。
早朝の青森駅では、蟹田行普通列車に583系が使われていて一気に目が冴えたものの写真には残さず。
青森行は分からないが、前に札幌行のはまなすに乗った時は函館で結構降車があり、青森〜函館の需要がそれなりにありそうだと思った次第。深夜の2時に青森に向かう人がどのくらい居るのかは未知数であるが。
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お前それやるか的な夜行列車乗継-4
高松駅で夜を明かせず普通切符で列車往復
高松0:47-731D-1:53琴平2:20-764D-3:22高松
この時は、電車化前のキハ181やくもを撮るために岡山県に行ってましたが、高校の同級生が四国でDF50を撮りたいとのお誘いを受けたので、高松で合流ということで、前夜の夜遅い宇高連絡船で高松入り。期待していた高松駅の待合室は深夜締切と知りさてどうしたものかと。
ところで、津山線で岡山に着いたのは夕方くらいなので、どこでどうして時間を潰したか、流石に覚えておらず。
翌日会う友人は、親戚の家に泊まるか翌朝着の夜行で来るかだったので、頼れるのは己だけ。
しかも切符は徳島鳴門ミニ周遊券なので夜行折返しには使えない。なので、乗車券だけで乗れる夜行快速中村行に乗ることとする。
琴平までは1時間ほど、寝過ごすと大変な目に合うので頑張っていると気分は終電に乗っているようなもの。人気のない琴平で30分ほど待つ間は3月というのに寒さが辛くてとても長く感じられた。
そしてやってきた高松行の車内の暖かさは夢のよう。すぐさま寝落ちして、高松駅ではオープンしたばかりの待合室に転がり込み睡眠の続き。
夜が明けたところで、列車に乗り鴨川駅着、ここで友人と合流し2時間ほど撮影するが旅客列車はいちはやくDE10に置き換えられDF50は貨物列車だけとなっていた。このあとは、9:18発の高知行で坪尻駅に向かい、スイッチバック駅で過ごしたのだった。
しかし、もし急行鷲羽が残っていたら宇高連絡船深夜便があったので、待合室で一晩過ごせたのか?今となっては答え合わせしようがないが、深夜の琴平駅に行くこともなかっただろうからこれも経験のうちと考えますか。
高松0:47-731D-1:53琴平2:20-764D-3:22高松
この時は、電車化前のキハ181やくもを撮るために岡山県に行ってましたが、高校の同級生が四国でDF50を撮りたいとのお誘いを受けたので、高松で合流ということで、前夜の夜遅い宇高連絡船で高松入り。期待していた高松駅の待合室は深夜締切と知りさてどうしたものかと。
ところで、津山線で岡山に着いたのは夕方くらいなので、どこでどうして時間を潰したか、流石に覚えておらず。
翌日会う友人は、親戚の家に泊まるか翌朝着の夜行で来るかだったので、頼れるのは己だけ。
しかも切符は徳島鳴門ミニ周遊券なので夜行折返しには使えない。なので、乗車券だけで乗れる夜行快速中村行に乗ることとする。
琴平までは1時間ほど、寝過ごすと大変な目に合うので頑張っていると気分は終電に乗っているようなもの。人気のない琴平で30分ほど待つ間は3月というのに寒さが辛くてとても長く感じられた。
そしてやってきた高松行の車内の暖かさは夢のよう。すぐさま寝落ちして、高松駅ではオープンしたばかりの待合室に転がり込み睡眠の続き。
夜が明けたところで、列車に乗り鴨川駅着、ここで友人と合流し2時間ほど撮影するが旅客列車はいちはやくDE10に置き換えられDF50は貨物列車だけとなっていた。このあとは、9:18発の高知行で坪尻駅に向かい、スイッチバック駅で過ごしたのだった。
しかし、もし急行鷲羽が残っていたら宇高連絡船深夜便があったので、待合室で一晩過ごせたのか?今となっては答え合わせしようがないが、深夜の琴平駅に行くこともなかっただろうからこれも経験のうちと考えますか。
お前それやるか的な夜行列車乗継-3
その3 東北ワイド周遊券を持っているのに上下八甲田折り返し
青森0:02(上り八甲田)2:47盛岡3:18(下り八甲田)4:52八戸 6:10青森(遅延のため青森まで乗車)
そのまま上り八甲田に乗って行けば、朝の適度な時間に仙台や福島に着いて良く眠れるのに、わざわざ深夜3時に降りて乗り換えるのはかなり物好きと受け取られそうだが、同行の友人と乗り潰しを進めていくうえで、北東北に未乗線区を残すとのちのち苦労するのが目に見えているので、近場の南東北より遠方の北東北を重視しようとの方針になったため。
この日前夜は阿仁合線乗車後、鷹ノ巣で豪雨に遭いきちんと覚えていないが90分ぐらい遅れてきた急行「しらゆき・きたかみ3号」に空腹のまま乗車、遅れを取り戻すためキハ58急行は豪快に飛ばし、それでも青森着は八甲田発車の10分前ぐらい。駅そば屋が開いていて心惹かれるものの時間が足りずホタテの駅弁を購入して八甲田車中で日付が変わった時間に夕食となった。
深夜に駅そば屋が開いていたのも驚きだが、実は鷹ノ巣駅では目の前に「いなほ3号」がドア扱いしたまま抑止となっていて食堂車のいい匂いを散々嗅いだというオチ。高校生ゆえに機転を利かせて食堂車に行くという判断が出来ず、しかも20時近い鷹ノ巣駅では当時食料入手手段がなかったため、4時間食事がお預けになった次第。
さて、八甲田では食事と休息しつつちゃんと深夜の盛岡で下車。しとしと雨で真夏なのにうすら寒い盛岡駅は静寂に包まれ雨のためか架線からかすかに漏電するらしくぱちぱちという音を聞きながらホームで待機。しかしながら予定時刻になっても下り八甲田は現れず、こちらも豪雨の影響で、結局30分以上遅れてやって来た。このため、20分接続の八戸線乗り換え~岩泉線、宮古線に乗って山田線で盛岡に抜けるプランは放棄して青森まで再び戻る羽目になった。
青森からは、奥羽線で川部に行き、黒石線と五能線を乗り潰し東能代から宮城県に行き洞爺は親戚宅に泊めてもらった。
一見失敗のように見えるが、五能線では貴重な混合列車で乗り通す行程となり、この後行く機会に恵まれなかったので、結果的には良かったと言える。その後はノスタルジックビュートレインとかリゾートしらかみのような魅力的な列車が走った五能線だが、DE15+オハフ61の渋い組み合わせはまた違った魅力があると思っている。
五能線の車窓から
お前それやるか的な夜行列車乗継-2
その2 東北ワイド周遊券だけど途中で乗継
八戸(十和田6号)北上(下り八甲田)八戸
前日は気仙沼線を乗り潰して、気仙沼ら臨時急行「けせん」乗車、一ノ関で降りても目的を果たせたし、そのまま福島まで上れば下り八甲田を捕まえられて合理的なはずが、北上まで乗って駅内のコーヒーショップで夕食後に「いわて1号」に乗り盛岡から普通列車で八戸着。ここで30分ほど待って「十和田6号」乗車。おそらくは14系座席車に乗りたかったと思われる。そして、数時間前に来た北上下車。次の水沢でも折返しに間に合うが勝手知ったる北上をチョイスしたらしい。約1時間の滞在の間に、DD51重連が牽く釜石線か北上線の貨物列車をにほん目撃したのはラッキーだぅた。
その後は、八甲田に乗り込みちゃんと4:52の八戸で下車。このあとは八戸線〜久慈線と乗り、普代からは国鉄バスで岩泉駅到着。ちょうど、部分日食の日で駅前広場で天体ショーを観測。
実りは多かったが、この寝不足が原因で当夜は盛岡から宇都宮まで寝過ごす失態のおまけつけ。
この失敗がなければ、14系座席車の「おが3号」で男鹿線を乗り潰すという素晴らしき計画を台無しにすることとなった。
いやあ、男鹿線を10両編成の14系が走るというすごい景色は一度見てみたかったです。似たような例として、大社線を20系が走るというのもあったがこちらも、時間が合わず見過ごしました。
八戸(十和田6号)北上(下り八甲田)八戸
前日は気仙沼線を乗り潰して、気仙沼ら臨時急行「けせん」乗車、一ノ関で降りても目的を果たせたし、そのまま福島まで上れば下り八甲田を捕まえられて合理的なはずが、北上まで乗って駅内のコーヒーショップで夕食後に「いわて1号」に乗り盛岡から普通列車で八戸着。ここで30分ほど待って「十和田6号」乗車。おそらくは14系座席車に乗りたかったと思われる。そして、数時間前に来た北上下車。次の水沢でも折返しに間に合うが勝手知ったる北上をチョイスしたらしい。約1時間の滞在の間に、DD51重連が牽く釜石線か北上線の貨物列車をにほん目撃したのはラッキーだぅた。
その後は、八甲田に乗り込みちゃんと4:52の八戸で下車。このあとは八戸線〜久慈線と乗り、普代からは国鉄バスで岩泉駅到着。ちょうど、部分日食の日で駅前広場で天体ショーを観測。
実りは多かったが、この寝不足が原因で当夜は盛岡から宇都宮まで寝過ごす失態のおまけつけ。
この失敗がなければ、14系座席車の「おが3号」で男鹿線を乗り潰すという素晴らしき計画を台無しにすることとなった。
いやあ、男鹿線を10両編成の14系が走るというすごい景色は一度見てみたかったです。似たような例として、大社線を20系が走るというのもあったがこちらも、時間が合わず見過ごしました。
お前それやるか的な夜行列車乗継-1
まだ周遊券が旅のお供だった頃、高校生や大学生の時は効力を目一杯使おうと1週間ぐらいの行程を立てつつも限られた予算だと宿代が真っ先に削られて夜行急行で夜を明かしてました。
とはいえ、乗換なしで使えるパターンは限られるため、段々と無茶苦茶なプランを使うようになりました。
今回はそんな乗り継ぎを幾つか紹介していこうという企画です。
その1南東北ワイド周遊券で夜明かしする
仙台(いわて4号)郡山(下り出羽)米沢(津軽4号)福島
時期は昭和57年11月、在来線特急急行の最後の輝きを追いかける旅。南東北にしたのは盛岡以北のはつかりは残ることと予算の関係でこうなりました。と言いつつも韋駄天急行「くりこま6号」は外せないので一ノ関から乗って仙台まで来たのが前夜のこと。翌日は朝に藤田で折り返すED71牽引の普通列車がお目当て。今なら福島駅近くに前泊でしょうけど当然ながらそんな予算はありません。
仙台では、無くなる予定の列車を撮りながら時間を潰し、23:34に幹線急行らしい貫禄を見せていわて4号が入線、2分停車の後に上野に向けて出発、折よく自由席の1BOXに座れた。列車はどうせ夜行なのでゆったり走るかと思いきや白石までは昼行列車と同じ時間で快走、その先はゆっくりとした走りになり寝落ちしたが、ちゃんと目覚めて1:51郡山着。
どうやって時間を過ごしたか思い出せないが2:48に出羽到着。雑誌で知ったが、ここで回送編成3両を福島まで連結しキハ58の12+3の15両編成と見てみたい長編成になるが夜中なので後ろに連結したことがわかるのみ。すぐに寝落ちして気がつくとエンジンを唸らせながら勾配区間をゆっくり上っているところだった。米沢には4:43着。
眠いけどちゃんと4:52の津軽4号に乗り継ぎまた眠りに落ちるが5:49の福島できちんと下車して機関車の交換と出発を見送り。眠いながら、そこそこの寒さに目が冴える。
この後は6:40発の仙台行417系で藤田に先行して福島を24分後に出るED71牽引の列車を撮影したのだった。
しかしながら、流石に夜中に3本の列車乗継はキツくてこれっきりの経験だった。とはいえ、まだまだ、それなりの乗継体験はあるので機をみて紹介します。
とはいえ、乗換なしで使えるパターンは限られるため、段々と無茶苦茶なプランを使うようになりました。
今回はそんな乗り継ぎを幾つか紹介していこうという企画です。
その1南東北ワイド周遊券で夜明かしする
仙台(いわて4号)郡山(下り出羽)米沢(津軽4号)福島
時期は昭和57年11月、在来線特急急行の最後の輝きを追いかける旅。南東北にしたのは盛岡以北のはつかりは残ることと予算の関係でこうなりました。と言いつつも韋駄天急行「くりこま6号」は外せないので一ノ関から乗って仙台まで来たのが前夜のこと。翌日は朝に藤田で折り返すED71牽引の普通列車がお目当て。今なら福島駅近くに前泊でしょうけど当然ながらそんな予算はありません。
仙台では、無くなる予定の列車を撮りながら時間を潰し、23:34に幹線急行らしい貫禄を見せていわて4号が入線、2分停車の後に上野に向けて出発、折よく自由席の1BOXに座れた。列車はどうせ夜行なのでゆったり走るかと思いきや白石までは昼行列車と同じ時間で快走、その先はゆっくりとした走りになり寝落ちしたが、ちゃんと目覚めて1:51郡山着。
どうやって時間を過ごしたか思い出せないが2:48に出羽到着。雑誌で知ったが、ここで回送編成3両を福島まで連結しキハ58の12+3の15両編成と見てみたい長編成になるが夜中なので後ろに連結したことがわかるのみ。すぐに寝落ちして気がつくとエンジンを唸らせながら勾配区間をゆっくり上っているところだった。米沢には4:43着。
眠いけどちゃんと4:52の津軽4号に乗り継ぎまた眠りに落ちるが5:49の福島できちんと下車して機関車の交換と出発を見送り。眠いながら、そこそこの寒さに目が冴える。
この後は6:40発の仙台行417系で藤田に先行して福島を24分後に出るED71牽引の列車を撮影したのだった。
しかしながら、流石に夜中に3本の列車乗継はキツくてこれっきりの経験だった。とはいえ、まだまだ、それなりの乗継体験はあるので機をみて紹介します。