在来線特急つばさ、見納めドライブ旅-3

この記事完全に忘れてました。
仙台に車を置いて新幹線で福島に行って切符を買い直し、在来線ホームに向かい17:43発の特急「つばさ」を待つ。ここからは仙台まで1時間ほどの485系の乗り心地を堪能する。全盛期は55-59分で走破していた区間だがこの程度の差は気になるものではなく、充分に往年の雰囲気を味わえた。
仙台到着後は、秋田に向かう同列車を見送り、福島~仙台の485系ミニトリップは終了。
駅構内のお土産コーナーで買い物をして駐車場を出るころには6月と言えども日暮れを迎えており、東北自動車道に入る頃には真っ暗に。あとは淡々と東北道を南下して佐野藤岡サービスエリアによって遅めの夕食後に都内まで一直線と思いきや土曜深夜の首都高速は渋滞発生の為、早稲田あたりで下道に降り甲州街道を目指すもこちらも渋滞。
その渋滞も郊外に差し掛かる頃には解消して順調に流れ出すものの、もう1つトラブル発生。ロードスターのオーナーである友人は疲れ果てて、自分がハンドルを握っていたのだが、走行中に加速が鈍る事態が発生。あわててクラッチを切るとエンストしたので、クラッチペダルを踏んだまま再始動を試みるもダメでハザードを点灯して路肩に寄せる。
その頃には助手席で眠りこけていた友人も目を覚ましたので、状況を説明するとメーターを見た友人曰く、「ガス欠」とのこと。確かに渋滞中にガスメーターがE近くを指していたのでそろそろ給油と考えていたが見通しが甘かったようだ。オーナーが言うには、この車はEを指したら即給油だそうだ。自分の車はこの時点で2,3リッターあるので油断してしまった。
この騒動で帰宅はさらに遅くなり自分の実家に着いたのは3時近く、流石に友人をこのまま送り出すのはやばすぎだと思ったら我が家のソファーで寝落ちしたのでそのまま朝まで放置。朝起きてきた我が家族はさぞ驚いたことだろう。
そんなこんなで、仙台日帰り強行ドライブ旅行は曲りなりにも一応の成果を収め、あれは若気の至りだったと忘れられない思い出となった。もっとも、今の年齢ならば、新幹線とレンタカーを使うとか、作並温泉あたりに一泊するとかもっと気の利いた行程を考えそうだが、まあこういう行き方もこの時しかできないことなので、後悔はしていない。
(以上おわり)

仙台発秋田行き特急の表示で「つばさ」と分かるでしょうか
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秋田に向けて出発
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【1981年8月】奥羽本線峠駅訪問

はじめにお詫びと訂正
この一連の旅行記ですが、年代を間違えて1979年と記載している事にいまさら気付きした。正しくは1981年なので順次直しておきます。

福島駅から
宇都宮から普通列車で辿ってきて、奥羽本線乗り換えまでの2時間ほどは何をしていたか、失念。どうせならば、福島交通線でも見に行けば良いのに撮影記録なし。(旅行資金の制限があるので乗るのは無理としても見るぐらいならばできたはずなので)
1980年10月の時刻表であるが、概ね同じ時刻なので参考に貼り付ける。


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乗ったのは425列車で福島駅10:45、峠に11:35で50分後には到着していた。今とは違って、一緒に十数名くらい降りたような気がする。(このあと、峠から乗るときはそれくらい写った画像が残っていた。)駅舎は本線より一段高い位置にあり、階段を降りると本線脇に出られるようになっていた。そちら方向にもしゅうらくがあるのか、勝手踏切のような道が通じていたが奥には行かずその周辺で列車を撮影していた。
臨時特急つばさ51号、気動車急行のおが1号に貨物列車などがネガに記録されていた。
しかしながら、滞在時間は瞬く間に過ぎて14:10発の429列車で峠を離れた。次の大沢駅では6分停まり後続のやまばと1号に抜かされると分かったのでカメラを持って駅の外に走るも、道路はスノーシェッドの真上を通っているため線路には近づけず音を聞いただけに終わる。米沢駅では停車時間を利用して牛肉弁当を買ってようやくお昼にありつけた。食べ終わる頃に列車は赤湯の先の盆地を見下ろす辺りを走行中。そして山形に16:00着。ここでは、急行仙山と思われる455系の屋根を撮影(模型作りを目論んでいたらしい)しているが、仙山線はどの列車に乗ったのか失念。

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832列車は3分接続なので乗れた気がしないので16:59発の仙山6号だろうか。景色の良いはずの仙山線の記憶はほとんどなく、おそらくうつらうつらして仙台まで乗ってその後は、宮城県の親戚宅に再度泊めてもらった。
さすがに、かなり疲労していたのでこの後は出歩かずほぼ親戚宅で過ごし従姉妹と映画を観たくらい(主題歌がビートルズだったので悪霊島)。そして数日後の急行いわて2号で帰京、長い夏休みの放浪の旅は終了した。

【1981年8月】宇都宮乗り過ごしのリカバリー編

前回書いたとおり、臨時急行「八甲田60号」で気持ちよく寝落ちして福島て降りるはずが宇都宮まで来てしまった話の続きである。
駅員さんに誤乗認定されたお陰で乗越し精算は不要となったので改札は出ずにコンコースに留まった。宇都宮に着いたのは4:11で下りの始発は5:25。この間、上りホームに行けば北星、津軽2号、あけぼの2号、4号、おが4号が相次いで発着していたのに完全に忘却してベンチで過ごしていたのは痛恨の極みである。そのまま眠さを引きずって115系の普通列車に乗り黒磯に6:20着、階段を上り降りして6:29発の客車鈍行121列車に乗り換え。
時刻表を見ながら郡山から先の行程を検討する。磐越西線は接続が悪く、磐越東線は9分で客車鈍行の平行があったがなぜかスルーして9:01の福島まで乗車。
このあとは奥羽本線のスイッチバックをじっくり見るべく10:45の新庄行を待った。しかしながら、この長い待ち時間に一体何をしていたか不明で、ネガの撮影記録も無かった。
周遊券で夜行連泊は便利だがそろそろ疲労が溜まって居たらしく、待ち時間を無為に過ごしてしまったようだ。
このあとの奥羽本線の様子は次まの章に記述する。

【1981年7月】八甲田60号で失敗

盛岡で一休みして次の行程を検討する。目論見としては上りの夜行急行で福島に行き奥羽本線の下り夜行急行に乗り換えて秋田に行こうと考えた。折よく21:10発の「いわて4号」に乗ると福島に0:51着、1:54発の「おが3号」に乗れば秋田8:07着、そのまま快速になって男鹿10:02着なので寝過ごしても男鹿線に乗れてしまうし、男鹿からの戻りはこの編成が快速列車で秋田まで戻る。
と、ここで時刻表の同じページにある「八甲田60号」の存在に気付いた。盛岡21:13、福島1:02なのでおがに乗り継ぐことも可能。八甲田60号は臨時列車なので定期のいわてよりは空いているだろうし客車列車というのも魅力。そこで方針変更しホームに向かうとED75先頭に12系の長い編成が到着。案の定、乗った車両には数名の先客だけで寒いくらいに冷房が効いていて快適な睡眠ができそう。
ここで、時刻表であることに気付いていたら予定通りいわて4号に乗っていてその後の展開も変わっていたかもしれない。このあることについては後述する。
八甲田60号に乗り洗面を済ませると、静かすぎるゆえに花巻到着も知らず眠りに落ちた。やはり、前夜はほとんど眠れなかったことが影響しているようだ。
そして、時間が過ぎて、とある駅を発車する衝撃で目が覚めた。頭はかなりスッキリしており随分寝たようなので、寝過ごしは確実なのに現在地が分からず頭が混乱。暗いホームに駅名標を探すと「くろいそ」の文字が横切って行った。あああ、やらかしたー、寝過ごしたー。今ので完全に覚醒し、とにかく時刻表を開いてリカバリー策を検討。周遊券の有効期限は充分あるのでなんとか戻りたい。次の停車駅宇都宮で乗り過ごしを申告し、差額を払って戻ろうと決める。その宇都宮駅では事情を話して精算してくださいと伝えると、誤乗扱いにしてくれた。未明に憔悴した感じに見えたのだろうか、駅員さんに感謝。とにかく下りの始発を待ってワイド周遊券のエリアまで戻らなくてはならない。

ところで、いわて4号のあることとは、盛岡−仙台の所要時間である。いわて4号は、盛岡を21:10発車し、仙台23:34で2時間24分で走行する。一方で韋駄天急行で名高いくりこま6号は19:00発、21:18着なので2時間18分と6分差なのである。この違いは、くりこまは通過する前沢、石越、鹿島台にいわてが停車するためで一駅ごとに2分掛かるらしい。このいわて4号の俊足ぶりにこのとき気が付いていたら定期列車ゆえに仙台駅辺りで乗降客でザワついて目が覚めて福島で乗り過ごさずに無事におが3号に乗り継いでいたかも、というのが心残り。結局、男鹿線で14系快速に乗ることは叶わず9年後の訪問となってしまった。

【1979年7月】八戸線、久慈線から岩泉線

八戸からは急行「十和田6号」に乗車。このまま周遊券の南限の平(現いわき)まで行っても朝6時台到着で、磐越東線は未乗なので都合は良いが、この日ばかりはそうはいかない。翌日は部分日食があり、北に行くほど欠ける割合が大きいため、初めて体験する日食はなるべく北で見たいと考えていた。
乗った十和田号は14系座席車でバッタンコシートの簡易リクライニングとはいえ、周遊券に課金無しで乗れる最高ランクの車両である。2時間半ほど乗って深夜に降りるので寝ないようにしていたが盛岡に気が付かなかったので少しウトウトしたようだか、1:25着の北上で乗り過ごすことなく降車。ここで下りの「八甲田」を待つ。次の水沢でも良いのだが夕方降りて様子が分かっている北上にしたのだった。この一時間ほどの間で印章が強かったのは、相次いでDD51重連の上下貨物列車が通過したこと。後でタイヤを見たら北上操車場から花巻の間にスジが引かれていたので多分釜石線の貨物列車だろう。40年前は物流の一翼を担っていたのだ。
2:34発の「八甲田」に乗車、席が空いているか懸念していたが難なく着席できた。八戸で降りるためあまり熟睡できないまま4:52到着。何日か前にこの乗り継ぎに失敗下之で胸をなでおろしキハ40系の気動車編成に乗り込む。5:13八戸出発で約2時間を淡々と過ごし7:19久慈到着。一応起きていたが途中の印象が薄く、久慈駅前に大勢集まっていた高校生の方が印象的だった。
8:10の普代行は別編成で雑誌に紹介されていた海を見下ろす橋とかを通り8:50到着。ここからは9:30発の国鉄バスで岩泉を目指す。時刻表では北山崎乗換となっていたが、バスは直通となっていて数分停車となっていた。運転士さんから景色を見たい人はどうぞと放送があり高台のバス停から眼下を見下ろすと美しい海が広がっていた。美しい景色に後ろ髪惹かれつつあとの行程があるのでバスに乗り続け12:34岩泉駅到着。既に部分日食は始まっていて、用意してきた自作の観測板で太陽を覗く。あっという間に時間が過ぎて、13:23発の岩泉線に乗って14:20茂市到着、接続良く14:26の急行「よねしろ2号」に乗り換えて宮古に14:45到着。
このあとは15:10発の宮古線に乗り田老15:29着。たしかキハ52の単行で1日4本なので結構な乗車率であった。折返しまで8分しかないので教科書にも乗っていた大防潮堤を一瞥して引き返すのみであった。しかし、あの堤防を持ってしても、津波を防げなかったとは自然の驚異は凄まじいと改めて思う。
15:37発の列車はトンネル多数の区間を戻り宮古に15:55着。ここでようやく駅そばの昼食にあり付き、16:19発の急行「五葉」で盛岡を目指す。陸中川井駅に停まると盛岡まで約1時間半ノンストップとなり、ここで気が緩んだのか寝落ち、スイッチバックの浅岸、大志田駅を見過ごしてしまった。ところで、この列車は、盛岡−花巻−釜石−宮古−盛岡と走行する循環急行である。但し、途中の区間だけ乗っても特に感慨は無かったが。18:25盛岡着。ほとんど乗りっぱなしの長い行程はここで一段落。盛岡駅の駅ビルの食堂に向かい夕食とする。とは言っても、今宵の宿はまた夜行列車、乗り鉄少年の旅はまだつづくのである。