DC急行「おが1号」キハ58系9両編成

自分が高校に進学したころは、追加料金なしでワイド周遊券で乗れるのは急行自由席まで、だったのでキハ58系には散々お世話になっているはずなのにヘッドマークが付かず特徴のない姿のため、カメラを向けることはあまりありませんでした。のちにキハ58の人気が出てきたころには、短編成化が進んでおり後の祭り。こちらは数少ない長編成の記録です(視界に写ってないけど)。
今となってはここまで線路に近づいたらお咎めなしにはすまないわけでですが、40数年前当時なのでお察しください。

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高校時代 セルフ現像したモノクロネガからセルフ焼付してアルバム作成

高校の時は撮影に掛かる経費をなるべく節約して1本でも多くのフイルムを買うべく腐心しており、ヨドバシカメラなどで安価に売っていた詰替えフイルムは学生の味方でした。が、10日近くの旅行となるとより多数のフイルムが必要となり、友達と折半で長尺フイルムを購入したことがあります。空のパトローネはヨドバシでいくらでも無料で配布していたのでそれを持ち帰り、自宅で手製詰替えをやりました。
が、専用の器具などはないので、カメラの巻取り機構を活用して、レバーを何回転すれば36枚相当というやり方で作りました。そんな訳で、38枚撮りもあれば33枚撮りもあるようなかなり適当な詰替えフイルムでしたが、一応ちゃんと画像は残せたので良かったですが、作業は二度とごめんだというくらい面倒な仕事でした。
ただ、セルフのフイルム現像は割と敷居が低いのですが、印画紙への焼付となると引き伸ばし機が必要でハードルが高く、カメラ屋さんでプリントするには単価が高く困っていたら、中学からの友人が借りてきた引き伸ばし機でプリントやるよとお誘いを受けたので、その友達の高校の同級生たちとアウェー的な環境の中ワイワイ楽しくプリントして来ました。初見の人たちと言え、彼らはスターハンターこと天文部員でしたが同じ写真好きとしてすぐに打ち解けました。
そのプリントした写真を使って、新幹線開業前の東北在来線のアルバム作りを志しましたが、持ち前の飽きっぽい性格ゆえに中途で頓挫したアルバムが我が家に残っています。
しかしながら、ゴミと間違われて捨てられてしまったネガからの写真も一部プリントしてあったお陰で、記録を残せたのは、何が幸いするかわからないといったところでしょうか。
いや、本来であればきちんと整理しておけばネガを失くさずに済んでいるので、失敗の結果というべきかもしれません。 
さて、そのプリントの際に一発で露出が決まるとは限らず、薄過ぎ、濃過ぎの失敗作も出てきますが、もったいないのでアルバムの扉用にこんな加工をしてました。 

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こちらは、峠駅近くで撮ったDC急行おが の失敗作を緑のサインペンで塗りたくって峠の文字をカッターで切り抜いて作りました。
こんな感じで長い休みに遊んでおりましたが、いざ新学期になると忙しくなってアルバム作成は放ったらかしとなってしまったわけでした。

青函トンネル開業の前年 大沼付近でキハ56?

列車体系が変わる前なので、おそらく臨時のすずらんか何かだと思うのですが、何だろ、これ?

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七飯-大沼 昭和62年8月

40年と1日前 福島県で

まもなく消えてしまう特急、急行との別れを惜しんで旅行に出ていました。
この日に乗った急行「いなわしろ1号」は、会津田島、只見、喜多方発の福島、仙台行、おそらく当時よくあった県庁参賀のための列車。
これに乗りたかったのは、キハ52単行急行だったからだ。
前夜の「ばんたい9号」で早朝の会津若松に到着。ホームに居た日中線直通列車に後ろ髪引かれつつ会津線の列車で湯野上まで向い会津田島から来たキハ52の急行でとんぼ返り、西若松駅で只見線からの車両と連結。西若松に貨物列車が居るということは、只見線からの列車だろうか。
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2両編成になるも今度は会津若松で本編成ともいえる喜多方からの車両と連結。
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1両→2両→6両と増えて行く典型的な出世列車でした。更には郡山で平からの「いわき」を連結して長編成で福島に向かっていくのでした。

昭和56年夏41年前の米坂線

今回の大雨で各地に被害が出ている様で、この米坂線も橋梁が崩落とかなりの状況のようです。
被害に遭われた方にお見舞い申し上げるとともに、一日も早くの復旧を祈念致します。

ここに紹介する写真は、41年前に米坂線を乗り通した時のもので、この時は新潟県の赤谷線に乗るため、米沢から坂町に一往復しました。写真はその帰途の記録です。

確か小国駅の様子。編成がホームからはみ出すほどなのは海水浴臨連結のため。
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小国駅ですが、停車時間が短かったから?歩くのが億劫だったから?ほとんど屋根だけ。
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ホームの様子。手前のホーム書かれた文字は「あさひ のりば」
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日が暮れた今泉駅で。なんと48分の大休止、列車番号も変わります。
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跨線橋から。長井線の乗換駅なので構内は広い。
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海水浴臨「かっぱ」号のサボ。
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羽越線に向けた海水浴列車は、「きさかたかっぱ」とか「ねずがせきかっぱ」とか河童系の列車名だが、ここが元祖か?当時の時刻表がないので今後なっては検証できず。

おりしも、地方交通線の輸送密度とか営業係数がニュースに出たばかりのタイミングでの鉄橋流出。只見線の例を見るまでもなく、復旧には費用と年月が必要となり、今後間違いなく存続の是非について議論されることになるでしょう。
本音を言えば廃線はしてほしくないですが、今の情勢は厳しいでしょうか。行き止まり線と違って、両端が繋がっている線は、有事の際に代替輸送にも使えます(震災時の磐越西線の活用は記憶に新しい)。災害も多く、国際情勢もややこしい昨今ゆえに手段として残しておくのは1つの方策かと考えます。米坂線の場合は、米沢から先のゲージが違い直通は無理だとしても、キャスター付きのパレット台車を使えば旅客車両でも物資輸送は可能です。それでも廃線するのであれば、せめて高規格の国道を代替で良いするぐらいは必要と考えます。