臨時急行「けせん」補遺

この列車のことですが、当時の時刻表はなく、検索しても見つからないので過去画像を掘り起こし、この画像を見つけました。

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車両と愛称サボは前に掲載した覚えはありますが、これは初めてだったやうな。行き先のさぼが、吉浜さかり−盛岡となってます。そんな駅名は無かったので、おそらくは吉浜だけだとどこだか分からないのでこうしたのかと(特急かいじの甲府·竜王と似たような理由)。しかし、レジャー臨とはいえ、盛線まで入っていたとは驚きました。
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写真は無いけど気動車急行アルプスの思い出

確か昭和50年の改正までは中央東線にもDC急行が走っていて、八王子に住んでいた頃に何回か遭遇したことがある。
しかしながら、遠足のバスに乗ると高確率で乗り物酔いしていた身としては、あの排気ガスの臭いが大の苦手。駅で気動車が来たと分かるとホームの奥の方に引っ込んでなるべく息を止めているのであった。
そんなとある日、ちょうど西八王子駅で電車待ちしていると、まさに轟音高らかに姿を現した。煤で真っ黒に染まった屋根、盛大に煙を吹き上げて通過後、暫くはあの苦手な臭いが漂っていた。
あれほど毛嫌いしていた気動車急行であるが、編成の内訳はダブルエンジンのキロ58、強馬力エンジンのキハ65、富士急オリジナルの両運キハ58が繋がっていたはずで、あと5年ほど残っていれば被写体としての魅力を見い出せたのに時期的に間に合わなかったのは残念至極である。
そう、高校進学の頃には気動車は好物になるのだから人間不思議なものである。
キハ65だけは西日本で会えたが、キロ58も富士急のキハも結局会えずに終わったのだった。

「能登路」 乗り鉄で散々お世話になっていたのにほとんど画像がないキハ58,28の画像を探してみる(4)

北陸ワイド周遊券の効力を活かし、右側の「ひだ」に富山~金沢で乗車。到着後写真を撮っていたら左側に能登路が到着したの構図。能登路もこの旅行で乗ったのにこの1枚だけというやる気のなさ。
幼少の頃にのったDC特急時代の「ひばり」以来2度目のキハ82乗車がこの「ひだ」でしたが、2歳の時の記憶なんてないので実質的には初のキハ82でした。
と完全にタイトルと主役ががY区転してますが、この画像自体もついでの写真なのでご容赦ください。

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昔のアルバムから 急行むろね

大昔、後輩が作ったアルバムに魅せられて自分でも作ったことがありました。
大昔版フォトブックといったところですが、実態は印画紙に焼いた写真を手書きのキャプション付けて貼り付けただけの代物。
とはいえ、行方不明になったネガの画像もあるので、珍しく自分を褒めてやりたいかも。
※冷房の無い部屋でスキャナー使痛くないのでアルバムをコンデジで写してデータ化しました。お見苦しい点はご容赦ください。 

東北本線を突っ走る「たざわ、陸中、むろね」倂結列車。資料だと10両編成らしいがこの画像だと9両に見えるのは後ろかる2両目に乗ったのか?オール非冷房車のすげー列車が真夏の東北路を豪快に走る。

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切離し後、大船渡線内でタブレット交換風景。
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C62ニセコの映画でタブレットキャッチシーンを地上から撮った映像を見て以来このシーンは憧れの存在。当時は動画を撮る機材が無いのが惜しいところ。

おまけ画像は盛線のキハ26 400グリーン格下げの豪華仕様。これ見ると、盛線乗っているときは雨降りだったことが判明。記憶って曖昧なことが分かり、なんてこったい。

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「きたかみ・陸中」 乗り鉄で散々お世話になっていたのにほとんど画像がないキハ58,28の画像を探してみる(3)

1982年11月、仙台駅で撮ったこの画像は、一緒に撮った表示器が役に立ちました。

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非冷房車の多かった東北DC急行で冷房化率が高かったのは「きたかみ」ですのでこの写っている先頭車は「きたかみ3号」の方だと推定されます。しかし、作業が終わるのを待てなかったのですかねえ?>自分。もうちょいと辛抱すればいいものを・・・。

この2つの列車ですが、釜石~北上で「陸中4号」に乗り、乗り換えた列車が「きたかみ5号」で北上~大曲と乗り継いだ記憶があります。その日の午前中は「むろね1号」に乗っているので1日中キハ三昧の日でした。