40年と1日前 福島県で

まもなく消えてしまう特急、急行との別れを惜しんで旅行に出ていました。
この日に乗った急行「いなわしろ1号」は、会津田島、只見、喜多方発の福島、仙台行、おそらく当時よくあった県庁参賀のための列車。
これに乗りたかったのは、キハ52単行急行だったからだ。
前夜の「ばんたい9号」で早朝の会津若松に到着。ホームに居た日中線直通列車に後ろ髪引かれつつ会津線の列車で湯野上まで向い会津田島から来たキハ52の急行でとんぼ返り、西若松駅で只見線からの車両と連結。西若松に貨物列車が居るということは、只見線からの列車だろうか。
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2両編成になるも今度は会津若松で本編成ともいえる喜多方からの車両と連結。
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1両→2両→6両と増えて行く典型的な出世列車でした。更には郡山で平からの「いわき」を連結して長編成で福島に向かっていくのでした。
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昭和56年夏41年前の米坂線

今回の大雨で各地に被害が出ている様で、この米坂線も橋梁が崩落とかなりの状況のようです。
被害に遭われた方にお見舞い申し上げるとともに、一日も早くの復旧を祈念致します。

ここに紹介する写真は、41年前に米坂線を乗り通した時のもので、この時は新潟県の赤谷線に乗るため、米沢から坂町に一往復しました。写真はその帰途の記録です。

確か小国駅の様子。編成がホームからはみ出すほどなのは海水浴臨連結のため。
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小国駅ですが、停車時間が短かったから?歩くのが億劫だったから?ほとんど屋根だけ。
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ホームの様子。手前のホーム書かれた文字は「あさひ のりば」
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日が暮れた今泉駅で。なんと48分の大休止、列車番号も変わります。
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跨線橋から。長井線の乗換駅なので構内は広い。
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海水浴臨「かっぱ」号のサボ。
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羽越線に向けた海水浴列車は、「きさかたかっぱ」とか「ねずがせきかっぱ」とか河童系の列車名だが、ここが元祖か?当時の時刻表がないので今後なっては検証できず。

おりしも、地方交通線の輸送密度とか営業係数がニュースに出たばかりのタイミングでの鉄橋流出。只見線の例を見るまでもなく、復旧には費用と年月が必要となり、今後間違いなく存続の是非について議論されることになるでしょう。
本音を言えば廃線はしてほしくないですが、今の情勢は厳しいでしょうか。行き止まり線と違って、両端が繋がっている線は、有事の際に代替輸送にも使えます(震災時の磐越西線の活用は記憶に新しい)。災害も多く、国際情勢もややこしい昨今ゆえに手段として残しておくのは1つの方策かと考えます。米坂線の場合は、米沢から先のゲージが違い直通は無理だとしても、キャスター付きのパレット台車を使えば旅客車両でも物資輸送は可能です。それでも廃線するのであれば、せめて高規格の国道を代替で良いするぐらいは必要と考えます。

昔の急行列車は長かった



昭和56年の夏、大船渡線を乗り潰すために乗ったキハ58系の急行は3本の列車を併結した多層建て急行でもっとも有名な「たざわ1号・陸中1号・むろね1号」でした。

(アルバムの写真をスマフォで撮影)
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ネガは紛失したものの珍しくアルバムに貼りつけてあったため写真の記録が残っていました。RJ誌の記事のよれば先頭から「たざわ」4両+「陸中」3両+「むろね」3両ですがこの写真では運転台の向きからは「たざわ」も3両だったように見えます。但し、何らかの理由で欠車というのは時々あったのでこの時もそうだったのかもしれません。
とはいえ、電化複線の東北本線を制限速度の95km/hで豪快に突っ走る姿は凄かったです。非冷房編成ゆえに窓を開けており、特急とのすれ違いはなかなかの迫力でした。
そんな周遊券愛用者の友だったDC急行ですが、ヘッドマークがなく変わり映えしない外観ゆえに写真記録はわずかでした。このころは10~12両編成というのがゴロゴロ走っていて6両だと短い方に扱われていました。




臨時急行「けせん」補遺

この列車のことですが、当時の時刻表はなく、検索しても見つからないので過去画像を掘り起こし、この画像を見つけました。

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車両と愛称サボは前に掲載した覚えはありますが、これは初めてだったやうな。行き先のさぼが、吉浜さかり−盛岡となってます。そんな駅名は無かったので、おそらくは吉浜だけだとどこだか分からないのでこうしたのかと(特急かいじの甲府·竜王と似たような理由)。しかし、レジャー臨とはいえ、盛線まで入っていたとは驚きました。

写真は無いけど気動車急行アルプスの思い出

確か昭和50年の改正までは中央東線にもDC急行が走っていて、八王子に住んでいた頃に何回か遭遇したことがある。
しかしながら、遠足のバスに乗ると高確率で乗り物酔いしていた身としては、あの排気ガスの臭いが大の苦手。駅で気動車が来たと分かるとホームの奥の方に引っ込んでなるべく息を止めているのであった。
そんなとある日、ちょうど西八王子駅で電車待ちしていると、まさに轟音高らかに姿を現した。煤で真っ黒に染まった屋根、盛大に煙を吹き上げて通過後、暫くはあの苦手な臭いが漂っていた。
あれほど毛嫌いしていた気動車急行であるが、編成の内訳はダブルエンジンのキロ58、強馬力エンジンのキハ65、富士急オリジナルの両運キハ58が繋がっていたはずで、あと5年ほど残っていれば被写体としての魅力を見い出せたのに時期的に間に合わなかったのは残念至極である。
そう、高校進学の頃には気動車は好物になるのだから人間不思議なものである。
キハ65だけは西日本で会えたが、キロ58も富士急のキハも結局会えずに終わったのだった。