酒匂川手前で横須賀線E217系

先週の記録ですが新幹線乗っていたらいきなり登場してびっくりです。

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【追記】
昭和54年だと思ったが、東京から平塚行に乗ったらスカ色の113系が来た。休日運転の列車だからなのかは不明だが駅に停まるたびに「横須賀線の車両ですが東海道線平塚行として運転しています」と連呼していたのが印象深かった。
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瀬戸大橋線の開業前と後を見に行く旅-2

横浜から【宇野行】の瀬戸に乗り込むと友人が出迎えてくれたので早速シウマイで乾杯した。前の記事でシンプルなモノクラス編成に不満は述べたが、今の価値観での感想で当時はロビーカー連結ははやぶさと北斗星くらい、瀬戸の運行時間では食堂車は無理そうとわかりそうなもので、おそらく当時はこんなものかという感じで乗ってたはず。
瀬戸車内での記憶はあまり残っていないため割愛。翌朝は宇野に着くと、接続時間の関係か余韻に浸る間もなく連絡船に乗り継ぎ。前夜の寝不足のため座敷席で寛ごうとしたが廃止間近の連絡船で行動しないのは勿体無いと友人に発破を掛けられ船内探訪したが1時間はあっという間で高松着。
桟橋とかを見たあとは高松築港駅に向かい琴電を撮影。ちょうどラッシュ時とあってバンバンやってくる。この後は鳴門の方に向かう予定だったので志度線を乗り通して終点まで。志度からは高徳線で池谷に行き鳴門線乗り換え。鳴門では渦潮見たさに大鳴門橋に行って橋を渡るバスの車中から海を見下ろしたのであった。この後の行程は記憶が曖昧で、どこからか高松に向かうバスに乗り込んだ。当時は高速道路は未開通でバスは国道を淡々と走る路線であった。途中の渋滞などでやきもきはしたものの高松では予定していた宇高連絡船のホバークラフトの便に間に合った。
時間的には17時代の最終便で、見た目は満席に近い感じだった。ホバークラフトは初めてなので世話人も乗りたかったのでこれで一安心。乗船が終わると爆音と共に宇野に向かった。仕組みとしては海面に浮き上がるのでソフトな乗り心地と想像していたが、実際は空気の壁にぶつかる感じでガツンとした硬い振動を感じられる乗り心地で、乗り物に弱い人ならばアウトな感じだった。でもさすがに速く宇野までの23分はあっという間。しかしこの楽しいホバークラフト便もあと一日の運命なのは名残惜しい感じがした。
宇野からは岡山乗り換えで尾道に向かった。今夜は尾道に泊まる。ホテルは尾道ビュウホテルセイザンという海を見下ろす場所にあるホテル。調べたら今も健在で機会があれば再訪したいと思っている。
海の夜景もきれいだったが、眼下に山陽本線が見え、九州に向かうブルートレインの光の帯がまさに寝台列車という感じであった。

瀬戸大橋の開業前と後を見に行く旅-1

33年前の今頃、4月10日に瀬戸大橋線が開業した。友人よりこのタイミングに合わせて宇高連絡船の惜別に行こうとのお誘いがあり、出掛けることになった。
開業日は日曜日、前日に行くと慌ただしいので、金曜日に休暇を貰い木曜の夜からの出発とした。第一走者は、この時点ではまだ宇野行だった寝台特急「瀬戸」。友人は東京から自分は横浜から崎陽軒のシウマイを携えて乗り込んだ。
この当時の瀬戸はモノクラスでロビーカーも無いシンプルな編成だったので、始発駅からの乗車に未練なし。そもそも職場からだと横浜駅が近いのでおツマミ用のシウマイを仕入れる重要な任務を仰せつかったのだった。
そんな訳で21時近くの横浜駅でEF65に牽引された列車を待ち構えたのだった。
なお、この時は鉄道の歴史に残る一大イベントなので当然ながら写真も撮っている筈なのだが悲しいことにネガも焼いた写真も行方不明。写真無しとなることをご容赦頂きたい。

青色ばかりの世界でEF66 27

夕方上ってくるとのことで、海バックで撮ったら、皇族のコンテナも青色で青色尽くしとなりました。

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久々に聴くエンジン音

横須賀線のダイヤの間隙に入るべくターボ音を響かせながら加速して行きました。

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